みゆきの日記
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2004年05月28日(金) 未来への希望

最近、働きたいなって思う。

働いていたときのことを、よく思い出すようになったのは、
いよいよ日本に戻る確率が高くなってきたからなのか、
それとも、毎日のママたちとの井戸端会議に、
イマイチついていけなくなってきたからなのか。

なんだか、もう社会に戻れなくなっちゃうんじゃないかって焦りを感じてしまって、
昨日、トモユキに切り出した。

「日本に帰ったら、私も働きたい。」

トモユキははじめ驚いて、なにいってんの、ダメだよそんなの、と言い、
それから、どうしたの?今の生活に不満があるの?と聞いて、
ちょっと悲しそうな顔をした。

そうじゃないけど、毎日菜子と二人でいて、楽しいこともいっぱいあるんだけど、
なんだか不安になっちゃうの。
今は菜子が私を一日中必要としているけれど、手が離れたらどうなるのかなーって、
私、そのときになって働きたくても、もう働けないかもしれないって。

毎日会うママたちと、近所の人の噂話とか産婦人科や小児科の話とか、レストランの話とかしてるのも、
最初は楽しかったけど、さすがに毎日だと話題もなくなってきて、
ほんとに、私って暇だよなーって思って苦痛になってきちゃって。
私、噂話って向いてない。だって知らない人のご主人がどこの会社だとか、
マンションの住人の誰が挨拶しないとか、どんな車に乗ってるとか、
興味ないんだもん。
そういう話題に花が咲いているとき、ついつい無口になっちゃう自分に気づいてる。
子どもたちに話しかけたりして、参加しなくなっちゃうこともある。

そして、こういう苦痛を覚えることは少なくともなかった、働いていた頃のことを
思い出しちゃったりするのだ。
つらいことは今よりも多かったと思う。だけど、前向きなつらさだった。
これは私自身のために役立っている、と確信できるような、つらさ。
緊張感があった。今感じているような無意味な苦痛とは違うものだ。

私がやっていたのは外資系の会社での役員秘書だ。
しかもこれって知られてないのかもしれないけど、すごくお給料がよかった。
業務内容は普通の簡単な秘書業務なのに、月50万もらっていたのだ。
英語なんてただのツールに過ぎない、英語が話せても、それで何が出来るか、が
大切なんだってよく言う人いるけど、
それはそうかもしれないけど、英語が普通に話せる人って、
実はまだまだ少ないのかなぁ、とその頃よく思ったものだ。
だって、ただ英語が話せるってだけでそれだけ需要があったんだもの。
しかも、私それほど英語が上手というわけでもないのだ。
もちろん、秘書の経験はあったのだけれど。

もうこんな仕事ないだろうなーって辞めるとき思ったけど、
今日なつきと話していたら、結構秘書を探している外国人エキスパットって多いらしく、
こんな私でも、まだ社会に出て働けるかなーって、
ちょっと希望が持てた。

ま、前に就職活動したときは20代半ば独身、今度は30過ぎて子持ちなわけだから、
そう簡単ではないだろうけど、やっぱり働きたいって気持ちは持っていたい。

「そうだよね、キミ、楽な仕事でいい給料もらってたもんねー。
 でも、そんなうまい話はもうないかもよ。
 800万稼ぐなら別だけど、中途半端なら税金が高くなるだけだからね。」

でも、外で刺激を受けて成長したいっていう気持ちはわかってくれたみたい。
トモユキはやっぱり私が家にいて機嫌よくしているほうがいいらしいけどね。
私も働いているんだから、お皿くらい洗ってよねなんて言われるのが恐怖なんだろう。

「本屋さんのレジとかはどう?パン屋さんとか。
 時間の融通ききそうでいいんじゃない?」

そんなことを言ってきたりする。
うーんそれでもいいんだけどね。
また、自分で稼いだお金で何か好きなものを買ったりできるのかもしれないと
思うと胸が弾んだ。
もしまた800万稼げたら、貯金もたくさんできるだろう。
でもそうじゃなくても普通のお給料でもいいから働きたいなって思ったら、
ちょっと今後の生活が楽しみになってきた。

まだ若いんだもん、私だってがんばらなくちゃね・・。
だけど40になっても50になってもやっていける仕事を見つけるなら、
今のうちじゃないとって気がしている。
不思議。専業主婦の生活に満足しきっていると思っていたのに、
やっぱり私は働きたいなんて。
それとも、ただのないものねだりかしら。

3時ごろ、お昼寝から目覚めた菜子の手をひいて、
「そうだ、一緒にアイスクリーム食べようか」なんて言いながら、
こういう幸せも捨てがたいなーって思っている私もいる。
だけど、10年後や20年後のことも見据えて考えなくちゃね。
得るもの、失うもの。
私には選択肢があることを夫に感謝しなくてはならないわ。


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