小学生の頃、ぼくは社会科の成績だけがダントツに良く、それ以外の科目はおおむね並であった。 これは当時のぼくの趣味が社会科だったことによるのだが、その他の科目はまったく興味が持てなかった。 授業態度も悪く、宿題もやったりやらなかったりだったので、当然成績もあまり良くなかったわけだ。 いつも通知表に書かれていたのは、「落ち着きがない」「授業を受ける姿勢がなってない」「授業中によく人を笑わせている(つまり、人の邪魔をしているということ)」などであった。 まあ、算数や国語に関しては、たまに良い点も取っていたし、勉強すれば何とかなると思っていた。 しかし、理科だけは違った。 まったくわからない。 しかし、それでも成績が並だったのは、小学校の理科のテストが読解力でカバーできる部分があったからだ。
中学に進むとそうも行かなくなった。 日増しに理科は難しくなっていく。 蛙や鮒を解剖したり、薬品を使った実験をやったりするたびに、『こんな科目が何の役に立つんだろう』と思っていた。 「実験レポートを書け」と言われても、真面目に授業を受けないから、そんなものが書けるはずがなかった。 おまけに、授業態度の悪いぼくを先生は目の敵にしていたので、いつも叩かれたり正座させられたりしていた。 そのせいもあって、さらに理科が嫌いになっていった。 ちなみに、その当時の理科の先生は、ちょうど今のぼくと同じような頭をしていた。 つまり、髪が荒く白髪だったのだ。 ぼくたちはその先生のことを、『針頭鉄男(はりあたまてつお)』と呼んでいた。 もしかして、ぼくの知らないところで、誰かがぼくのことをそう呼んでいるのかもしれない。
ところで、ぼくは勉強しないと点数が取れない中間テストや期末テストは苦手だったが、クイズを解いていくような軽いノリの実力テストは得意であった。 実力テストは、問の中に答が隠されているような問題が多かった。 だいたい答探し問題が8割、勉強しないとわからない問題が2割で構成されていた。 苦手な英語でさえも、このテストならスラスラ解けた。 しかし、理科はまったくわからなかった。 他の教科では8割がた点数は取れるのであるが、理科だけはいつも4割程度しか取れない。 ひどい時は2割しか取れなかった。 おそらく高校入試でも理科の点は悪かったものと思われる。 それでも、何とか高校に受かったのだから、他の教科が良かったのだろう。
さて、高校に入って、いよいよぼくの理科嫌いは極まった。 高校で習う理科系科目は、『生物』『化学』『物理』『地学』であった。 『地学』は1、2年の時の女子の科目で、男子は受けなくてよかったのだが、代わりに『化学』と『物理』を受けなければならなかった。 つまり、3年間を通して男子が習う理科系の科目は『生物』『化学』『物理』の3科目であった。 その3科目のうち『生物』と『化学』を、なんと1年生の時に習ったのだ。 もちろん地獄である。 生物は『ミトコンドリア』とか『デオキシリボ核酸』などというチンプンカンプンな言葉が出てくるし、化学のほうは化学式がまったく理解できない。 これは致命的である。 そんなふうだったので、試験の点はいつも欠点前後をさまよっていた。
夏休みに、生物で植物採集の宿題が出たことがある。 植物採集はこの高校の伝統で、みなクラブの先輩などから譲り受けたものを提出していた。 ぼくもクラブの先輩が「譲ってやる」と言っていたが、そこまでして提出するのを好まなかった。 ということで、夏休みの宿題は不提出のままだった。 しかし、このことが後に大きな意味を持ってくる。
1年の3学期の期末テストが終わって、自宅学習期間に入っていた。 ぼくにとってはもはや春休みで、のんびりギターなど弾いて遊んでいた。 そんなある日、家に一本の電話がかかった。 「しんた君かね」 「はあ」 「Fですが」 「えっ?」 「生物のFですが」 何だろうかと話を聞くと、F教師は「君には追試を受けてもらう」と言った。 生物の年間の平均点が30点に満たない、つまり欠点だったからという理由であった。 「夏休みの宿題を提出してたら、考えたんだけどねえ。まあ、頑張ってくれたまえ」 「試験はいつですか?」 「1週間後だよ」 「範囲はどこですか?」 「範囲?1年間やったところだよ」 「全部ですか?」 「そうだ」 目の前が真っ暗になった。 ただでさえわからない生物なのに、1年間分を1週間で勉強しなければならないとは。 電話を切り、さっそくぼくは担任に連絡した。 「しんたですが・・・」 「おう、今電話しようと思っとったところやった。聞いたか?」 「はい。今電話がありました」 「しかたないのう。まあ、頑張ってくれ」
『生物�機戮判颪�れた分厚い教科書を開いた。 「はあー。こんなのわかるわけないやん」 ぼくは泣きたい気持ちになった。 しかし、このまま進級できないとなると、こんなにカッコ悪いことはない。 今まで一緒に遊んでいた奴が上級生になるなんて耐え切れなかった。 とにかく1週間目いっぱいやろうと思い、ほとんど寝ずに勉強した。 テレビは一切見なかった。 休憩中は、教科書を見ながらギターを弾いていた。 風呂に入る時も、トイレに入る時も、ぼくは『生物�機戮龍飢塀颪鮗衒�さなかった。 これほど勉強したのは後にも先にもこの時が初めてだった。
1週間後、学校に行った。 まだ充分ではなかったが、やることはやった。 『ミトコンドリア』や『デオキシリボ核酸』も言葉だけは覚えた。 試験は70パーセントほど解けた。 あとで答合わせをしたけど、間違ってはなかった。 試験が終わり、学校にいてもすることがないので、家に帰ることにした。 ちょうど家に着いた時だった。 電話がかかった。 「しんたか」 「はい」 担任からだった。 「帰ったところを悪いが、ちょっと来てくれんか」 「今からですか?」 「おう」 またもや目の前が真っ暗になった。 『だめやったか・・・』『留年か・・・』『嫌やのう・・・』『あいつとあいつが笑うやろうのう・・・』『あの子も上級生になるんか・・・』 学校に行く途中、いろいろなことが頭をよぎる。
学校に着いた。 職員室前で待っていると担任がやって来た。 真面目な顔をしている。 『やっぱりだめか・・・』 担任は一息つくと急に笑顔になり、「よかったのう。大丈夫やったぞ」と言った。 ぼくは肩の力が抜けた。 『大丈夫やったら、電話で済むやん』と思ってもみたが、とりあえず素直に喜んだ。 これに懲りて、その後は追試を受けるようなドジは踏まなかった。 1年の時の担任との交流はその後も続いて、学年末テストが終わるたびに「おう、今年は追試なしやのう。よう頑張った」と言って電話してきた。 卒業の日に一番喜んでくれたのもこの先生だった。
さて、本題の「今日は何の日?」に入る。 今日3月7日は、ぼくが28年前に追試を宣告された日である。 以上。
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