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渡英経験の豊富な著者が真摯に語る、 英領のさいはて、セント・キルダ島の人々の歴史。 鳥も通わぬ・・というけれど、 この島の人々は、有史以来、 この絶海の地で、きりたった険しい山岳の小島で、 外の世界と隔絶した文化を受け継ぎながら、 海鳥を主食にして生きてきた。 ここでは金など、何の価値もない。 ケルトの風習が色濃く、内乱の火種になった キリスト教すらも、後になって強制されたものだ。
だからこそ、英国でかつてこの島がブームになった とき、観光客はここにユートピアを見たのだろう。 セント・キルダの人々は、私たちの胸に巣くうような 個の孤独とは縁のない暮らしを営んだいたのだ。 かつては、かつて確かに存在した時代には。
しかし、本書はユートピア紀行ではない。 もうそこに、人々のユートピアはないのだから。 厳しい自然だけが、今は島を覆う。 本書は、文明社会の「よかれと思ってした」暴挙が、 いかに簡単にこの楽園を損ねていったのかを訴えながら、 あえて現在の世界で泥沼化している「大義のもとの戦争」にも 警告を発していると思われる。 本書を読む前と後では、意識において、 何かがパチッと変化するだろうし、私たちは セント・キルダの島民たちの過去を知ることで、 何によって今を損ねられているかを想像することができる。
著者が訪れたとき、すでに36人(この数が、ニューエイジで よく言われる、世界を救うという36人の善人と同じなのは 偶然に過ぎないのか?)の島民は、 なかば強制的に離島させられており、 島は夏の間だけの観光地と化していた。
それでも、ふとしたきっかけで著者とつながったこの島は、 ほかのどの土地よりも深く強く、異郷の日本人の魂を呼んだのだ。
とりわけ、本書の主人公、 フィンレー・マックィーン(1862-1941)という人物。 彼は、生まれたときから、この島の一部であった。 口絵に写真が載っているが、 あごひげとほおひげにふちどられたこの長老の まなざしに、著者の旅の始まりがある。 彼もまた、最後の島民のひとりとして、 本土へ移住したのち没し、ついに島の土にはなれなかった。
島を離れたフィンレー老のその後の生活にも 一時帰島など、いくばくかの救いはあるものの、 そこにあった人々の生活は、きれいにデリートされ、 もう二度と、再現されることはない。 また違った方法はあるかもしれないが、 失われた種族の生きもののように、どこかへ その魂たちは、飛んでいってしまったのだ。
今の私たちから見ればあれほど「ものを考えている」かに見える 英国人ですら、過去にはこれほどに無知で傲慢だったなら、 現代の私たちが「よかれと思って」していることは いったいどんな結果を、この地上にもたらすのだろうと そらおそろしくもなってくる。
ほんの200年くらいのあいだに、 人はどれだけ変われるというのだろう。 人を変えさせようとする暴力は、いつでも勝つのだろうか。 それとも、他人をコントロールしたいという欲求は、 他人を受け入れたいという願いのもとに、 少しでも膝を折ることができるのだろうか。 (マーズ)
『英国セント・キルダ島の何も持たない生き方』 著者:井形慶子 / 出版社:講談社2003
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管理者:お天気猫や
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