ヒトリゴト partIII
 Moritty

■■■
■■
■■私の生きる道

2003年02月20日(木)

今日も夜の電話会議があった。会議は11時半頃終わって、それからお風呂に入り、洗濯をしながら今この日記を書いている。夜の1時半。一人暮らしの大きなメリットというのは、一般的常識を無視して、好きなときに好きなことができるってことだろうか。お腹が空いたらご飯を食べて、食べたくなかったら別に食べることもない。暖房だって好きな温度に設定できるし、眠くなったらいつでもどこでも寝ればいい。共同生活者がいたらこうはいかないだろう。相手の存在を気にしながら行動しなければならない。でも、これは一人暮らしのデメリットでもある。誰の行動も気にする必要がない(=誰も自分の行動を気にしない)というのは、気楽な反面寂しいことでもある。電気が切れていても誰も取り替えてくれないし、取り替えようとして落ちて頭を打って気を失っていても、誰も気付いてくれない。そんな風に考えてしまうと、時々無性に寂しくなることがある。当たり前のことをつくづく思うのだけど、人間って一人で生まれて一人で死ぬのに、一人で生きることは出来ないんだな。それだけ、生きていくということは大変なことなのかもしれない。一人で抱えるには重過ぎる荷を背負っていかなければならないから、時々誰かに寄りかかったり寄りかかられたりしないと心身ともにもたない。でも、生きることが大変だからって、死ぬことを夢見ながら生きている人はいない。明日もあさっても1年後も10年後も生きていると思いながら生きている。

最近、「死」を扱ったドラマが多い。そのひとつが草��君が主演している『僕の生きる道』だ。草��君演じる中村先生はスキルス性胃ガンにかかり、手術不可能で余命1年と宣告される。初めは生きる目的を失って投げ遣りになってしまうのだが、母親の言葉をきっかけに、死のその日までの時間を大切にしようと思い直し、残された貴重な時間を一生懸命に生きようと決心する。ドラマは展開も速くて面白いし、草��君の演技も上手いので観ているけれど、ちょっとひっかかることがある。中村先生は死ぬことを受け入れて、その上で毎日を一生懸命生きようと決心する。僕に残された時間はあと10ヶ月だ、と思いながら生きている。でも、人間ってそんなに強いものだろうか。彼のような立場になることは想像を絶するけれど、もし私だったら死ぬ直前まで死を本当の意味では受け入れられないような気がする。自分の余命をカウントダウンなんて出来ない。(自ら余命を選ぶ=自殺は、余命を認識することとは別の性質のものだと思う) たとえ頭ではわかっていたとしても、奇跡が起きて治るんじゃないかとか、頑張って探せば何か良い治療方法があるんじゃないか、とかを一生懸命考えてしまうだろう。生きることがどんなに辛かったとしても、やっぱり死ぬことより生きることを考えてしまう。多分、生きている限り、希望があるからかもしれない。(でも、私は生命線がないからあぶないかもと思う今日この頃・・・)

<< >>
Latest Index Comment Home

-->