| 向き合わない理由。�� |
最初は、確かに病気そのものだった。
親子関係とか、思春期のストレスとか、環境の変化とか、脳の伝達異常とか。
最初は、自分に何が起こったのか分からなくて。
自分が神経質過ぎるからとか、だらけているだけなんじゃないかと思い、
襲ってくる不安とひたすら闘って来た。
そして、20年が経とうとしている。
今、私を苦しめているのは病気そのものだろうか。
今まで私の行動を決定する最高機関は、この『不安感』だった。
高校で部活が続けられなかったのも、大学で合宿の度に辛い思いをしたのも、
留学したかったのにいけなかったことも、卒業旅行に行けなかった事も、
OLが続かなかった事も、社員旅行に行けない事も、子どもが産めない事も。
すべてはこの病気のせいだ、この不安感のせいだ。
そう思っている自分がいた。
好きな曲を聴いていた。そうしたら、急に涙が出てきた。
私にはやりたい事があった。
でも私はPDを理由にして、それが出来ないと決めつけていた。
PDはいつのまにか、私の人生からの逃げの理由になっていた。
『自分がやりたい事をしなさい、ゆっくりでいいから。』
ココロからやりたい事を抑えて生きている私には、真の回復は無い。
PDを逃場にしているウチは、前に進めない。
何か辛い事があった時、発作に逃げていると感じる事があった。
出掛けている途中で気分が悪くなる。
またPDのせいで調子が悪くなってるのかな。
調子の悪いままでいるのは辛い。
辛いなと思いながらも、用事を済ませる事は大変。
だから私は不安に逃げる。もちろん無意識に。
発作が出てしまえば、その場から逃げられる。
もう何も出来ませんと言ってしまう事が出来る。
何か、取り組まなくちゃいけない問題が自分の中にあっても、
PDへの対応でいっぱいいっぱいだと言えば、
その問題に目をつむる言い訳になる。
PDにかかりきりになる事で、私は色んな事から逃げていた。
もちろんPDは辛い、怖い。
でも、解決しない問題を抱えているからこそ、
身体がPDという危険信号を送ってくれているのかもしれない。
すべての病気を気のせいだと言うつもりは全く無い。
でも、自分の中の問題が病気を作り出すというのは確かだと思う。
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2003年06月14日(土)
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