| 幸せのカタチ。 |
先日の心療内科で。
『私はこれからどうやっていけばいいんでしょうか?』
と、先生に聞いてみた。
PDになってから今までの自分の人生を否定するつもりはない。
自分なりにがんばってやってきたと思うし、
PDと折り合いをつけて生きていく方法も身につけてきた。
でも、20年というPDとの日々を悔やむ気持ちは正直ある。
PDじゃなかったら、自分はどんな人生を送っていたんだろう。
先日旦那と飲みに行った時、なんだかとても悔しくなって泣いた。
もっともっと楽しい生活が出来てたんじゃないのかなぁって。
この20年、いったい何だったんだろう〜って泣いた。
そんな話を先生にしてみた。
すると先生は穏やかに私に訊ねた。
『今、何かしたいことがありますか?』
そう聞かれて、すぐには答えられない自分がいた。
日常の生活は、調子の悪い日はあるけれど、
かなり楽に過ごせるようになってきていて、
仕事も、たまに休むことはあってもなんとか行けている。
遠くへは行けないけど、カイロには電車で行けている。
車でなら、ちょっと郊外へ行くことも出来る。
取り立ててすごいことは出来ていないけど、
毎日を穏やかに過ごすことは出来ている。
これ以上何かを望むことは、もしかしたら贅沢なんだろうか。
先生はそういう意味で言ったのではなくて、
私のやりたい事に応じてアドバイスをくれようとしていたみたい。
飲みで泣いた話をすると、
『その時ご主人はなんて言ったんですか?』と聞かれた。
酔っていたのではっきりとは覚えていないけど、
『これからだよ。これから楽しんでいけばいいんだよ。』
と言ってくれたような気がしますと答えた。
日常の生活は送れていても、何かイレギュラーなことが起きた時、
それに対処できるような精神力と体力をつけておきたいんです。
これから子どもができるかもしれないし、親が寝込むかもしれないし、
今は自分の身体の事を中心に考えていられるからいいけど、
動けなくても動かなくてはいけなくなった時に、
私はどうすればいいんでしょうか。
『何でも一人でやろとしなくてもいいと思いますよ。
子育てだって介護だって、全部背負ってたら倒れてしまいますよ。』
『お母さんとの関係では色々苦しいこともあると思うけど、
ご主人との仲もいいし、○○さんはとても幸せそうに見えますよ。(^^)』
私が幸せそうに見える・・・?
優しく微笑んだ先生にそう言われて、なんだか肩の力が抜けた。
できないこといっぱいあるけど、具合悪いこともあるけど、
周りの人に支えられて、私は幸せなんだ・・・。
発作がひどかった時は、毎日症状に対処するのが精一杯で、
先のことなんて考える余裕がなかった。
少し症状が落ち着いてくると、もっと何かしなくちゃいけないんじゃないか、
もっと何でもできるようにならなくちゃいけないんじゃないか、
それじゃないと治ったことにはならないんじゃないか。
そんな思いに振り回されそうになる。
ささやかだけど、穏やかな毎日を過ごせる幸せは、
意識していないとつい忘れてしまいがちになる。
今の自分の性格は、PDによって作られた性格なのかなぁ。
PDになってなかったらどんな自分になっていたんだろう。
それはだれにも分からないこと。
そして、過ぎた日々を思ってもどうしようもない。
分かっているけど、分かっているんだけど、
たまに、ふとそんなことを考えてしまっている自分がいる。
落ち込んでいるのとはちょっと違う。
長いようで短かった日々を振り返って、感慨深いっていう感じに近い。
そんな風に思いをめぐらせることが出来るのも、
もっと元気になりたい、健康になりたいって思うのも、
今が落ち着いて来ている証拠なのかもしれない。
今の幸せに満足できないで、高望みをするようになってしまっているのかなぁ。
幸せのカタチは、人によって違う。
PDな私、ACな私にとっての幸せも、
他の人と比べてはかることは出来ないんだな。
私なりの幸せのカタチを見つけていくしかないんだな。
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2003年09月03日(水)
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