何を大事にするか。 |
家庭・仕事・趣味・妊娠・・・。 人生には色々な状況がある。 自分がその中で何を大事にしているのか考える事がある。
家庭での穏やかな日常を大事にしていきたいのか。 仕事で成功して、経済的に豊かになりたいのか。 趣味に没頭して、楽しみを満喫したいのか。 妊娠出産して、子育てをしてみたいのか。
このどれもが手に入る人もいるかもしれない。 しかし、そのためには相当の努力や体力がいるだろう。 1日は24時間と決められているので、これらすべてを動かすとしたら、 1分1秒時間を惜しんで動き回らなくてはいけない。 私にはとてもそんな気力はないので、無理な話。 無理だと分かってるし、全部が欲しいとも思わないし。
結果的にこの中のいくつかが手に入ることはあるかもしれないが、 それは私が無理してそうしようとしたのではない。 そして、無理をしない事こそが、いいと信じる気持ちがある。
ただ、自分が本当に欲しいものがある時は、 真剣にそれに向き合う必要があると感じる。 真剣にというのは、ガツガツという意味ではない。 真摯にと言った方がいいだろうか。
自分がそれを望んでいますというのをちゃんと認めて、 それを望む事を自分に許して過ごしていくという事。
こんな事を望んじゃいけないとか、 望んだって叶うわけはないとか、 望んでる事を恥ずかしいとか不適切だと思うとか、 そういう気持ちを持たずに、素直に前を向いていられる事。 それが大事なんじゃないかと思う。
ほんとうに欲しい物があって、 そのためにすべき事がいっぱいあるのに、 なんだかそういう望みとはベクトルが逆の努力をしたり、 望みを壊すような行動に思える事をしてみたり。
ココロと頭と身体の望みが一致していないから、 ココロで望みながら、頭では絶望を感じながら、身体は別の事をしてる。 自分自身の中の不一致に気付かないまま。 そんな状態でいたら、望みは自分に振り向いてはくれないだろう。
私の望み、私のしたい事。 その通りに行動するのは無理だ、状況が許さないと思ってる私がいる。 私がそう思っている限り、それは実現するはずもない。 私が心の底から、『自分のしたいようにしていい』とか、 『自分のしたいように出来る』と感じられていれば、 それは『現実に出来る』のである。
私の嫌いな言葉は、 『しょせん・・・なので出来ない』 『一般的に・・・なんてあり得ない』 『どうせ・・・できるはずがない』 『望みは一つしか叶わない。(一つ叶ったら一つは我慢する)』 というような、世間一般の常識を振りかざして、 すべての可能性を否定するような言葉。
自分が望みとちゃんと向き合えてないからといって、 しょせんそんな事は望んでもダメだと先に言っておいて、 自分の不誠実を正当化しようとする行為。それがイヤ。
すべて望んですべて叶う事もある。 すべで望んで一つも叶わない事もある。
そのどちらになるかは今の時点では分からない。 分からないから真摯に向き合って進むしかない。 自分を信じて、自分を許して生きていくしかない。
あぁ、私は怒っているんだと気付いた。 まっすぐ向き合おうともしないのに、 得られないものに対して、文句ばかり言っている人たちを。 得られない事があったとしても、それもまた自然な事なのだと思えず、 他の人に原因があるとか、誰かからの嫌がらせだと思っている人たちを。
そして自分はそうなりたくないと、切に願っているのだ。
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2004年12月26日(日)
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