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2003年11月15日(土) ピアノマンは語るよ

中学から高校の頃、バンドだのライブだのと大騒ぎしていた時期がった。
YAHAMAのシンセサイザーワークショップに出かけたり、
よく分りもしないのに新星堂の地下で楽器をいじってみたりして、
自分でも何かやろうとしていた。
今じゃ自分でも信じられないことに、中学の頃、友だち4人で組んで、
ボーカルをたてて作曲を試みたこともあった。
(いつの間にか尻切れとんぼで終わった…)
この頃に、私には作曲の才はないらしいと気付いた。
(ついでに歌の方もあまり宜しくないと気付いた)

だが、高校で演劇部に入って、たった一度だけ作曲をしたことがある。
かの劇団四季ファミリーミュージカルの舞台を上演した際だった。
その時、この日記にも何度か登場している親友はづきちゃんが劇団四季にお願いしたら、なんと実際に使用した伴奏が入っているテープを快く貸してもらえたのだった。
さすがだわ四季さん、フトコロが深いのね、ありがとう。

しかし、全ての曲がおさめられているわけではなかった。
主要な曲はほとんど入っていたけれど、
話している途中に、ふっと短い歌に移るというような部分の伴奏まではおさめられていなかった。
そういう部分は、こちらでなんとか作るしかなかった。
あれこれの楽器もないので、唯一自由に使えたピアノのみの伴奏で。
ほとんどははづきちゃんが作ってくれた。
ピアノの前に座らせると何やかやと弾いているうち、メロディが組み上がり、どんどん伴奏をつけていくことのできる彼女は、私には神々しく見えた。
そういう彼女が習っていたのはピアノではなくエレクトーンなのだった。
エレクトーンの人は、手だけでなく足でも弾けてすごいが、
彼女のようにメロディラインにコードを付けていくのも上手なのかもしれない。

どんどんはづきちゃんが作ってくれるので、私は安心しきっていたのだが、一曲だけ作ってくるようにと宿題を出された。
えーっ、わたし?と言いながらも、歌の分野で出番を与えられて、実は内心とっても嬉しかった。
(出番はいつも力仕事分野だったのだ)

歌詞はもちろん、あらかじめ決まっていた。
脚本に書いてあるのは、とても短いことばで、同じフレーズの繰り返し。
曲を付けたとしても、30秒にもならないだろう。

実は、メロディラインはあらかじめ頭にあった。
歌詞を聞いてすぐに浮かんでいたので、そこで苦しむことはなかったが、
伴奏の方は少々苦労した。
何度も繰り返し弾いては鳴り響く不協和音に首をかしげ、もしもしカメよカメさんよ、のペースで、なんとか伴奏が出来上がった。

私が一番緊張したのは、はづきちゃんの前でお披露目する時だった。
はづきちゃんの目が光り、耳がでっかくなっているのを横に感じながら、私はただ必死でグランドピアノを弾き語った。
後にも先にも、私がグランドピアノで弾き語りをしたのはこれが最初で最後だと思う。

弾き終わって恐る恐るはづきちゃんを仰ぎ見ると、意外にも一発OKが出た。
おそらく、ダメを出す余地すらないくらい短い曲だったからだろう。今となってはそう思う。
それでも自分の作ったメロディを、自分の弾いた伴奏で歌ってもらうというのは、
ちょっとくすぐったくて、嬉しくて、楽しい経験だった。

そんなことを思い出していると、「音楽は、誰かに聞いてもらうものだよ、自分のためだけに奏でるものじゃない」という、90歳を超えたピアノマンの言葉が頭をよぎる。
アメリカのサイレントムービーの黄金時代、スクリーンに合わせて即興の生演奏で音楽を付ける仕事をしていた彼が、今も老人ホームの友だちのために、毎日たくさんの音楽を奏でている。
彼の周りにはいつも音楽があって、その周りには人が集まる。

確かに、演奏というのは、聞いてもらうことを常に意識しているのといないのとでは、全然変わってくる気がする。
私はピアノを習っている頃の自分に、そういう部分が欠けていたんじゃないかと思う。いや、ピアノだけじゃなくて、他のいろんな部分も、当てはまる気がする。
そしてそういう姿勢を持った人のやることは、視線が定まっているというか、スタンスが決まっているというか、一本スジが通っていて、面白い。
この気持ちを、もうすこし自分にも取り入れてみようと最近よく思う。

もう、だいぶ暗くなった11月の夕暮れ。
ハープが届きました。

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