最近、色鉛筆で簡単なデッサン というかスケッチをして遊んでいるのだけど、 これは面白いとおもう。 おとなになるにつれ、 たいていのものは見慣れてしまったがために、 近頃となっては どんなにろくろくきちんと 「見る」ということをしていないか、よくわかる。 毎日使う自分の手や PHSをデッサンしながら、 「こんな関節の曲がり方してたんだなぁ」 「このボタンこんなに可愛いたまご形だったんだ」など、 気付くのは面白い。
幼な子に、万物に神が 宿って見えるのは、 天井の木目が、 壁の染みが、 ついにはなにか違うものに見えてきちゃう程じっくり 見つめることのできる時間と、世界に対する新鮮な驚きがあるからなんだろう。
世界に対する新鮮な驚き、と言えばこの間。 会社の地下の撮影スタジオに寄ると、 編集部のKさんという女性が丁度ケーキの撮影を 終えたところで、 撮り終えたばかりのおいしそーなケーキをこちらへ寄越しながら、 この2週間に撮り続けたお菓子たちの写真を何十枚も見せてくれた。 ちいさな子どものいるお母さんのための お料理の本の撮影だったのだけど、 全部のお料理お菓子に、顔が描いてあって。
たとえばピクルスとお豆で作っためだまを、 二つぽつんとてっぺんにのせただけですっかり 表情が出ているハンバーガーとか。
それぞれがにっこり笑ったりおすまししたりしていて、驚いたー。 何十枚も見ているうちに、 ほんとうに食べ物に人格が宿って見えるというか、 お皿からこちらを見上げる様子に感情移入してしまうのだから。
わたしも、どんなに忙しくとも 子どもの食べ物にひょいひょい顔を描いちゃったりするような お母さんになりたいなぁ。 そういえば昔オムライスに お母さんがケチャップで描いてくれるの すごく嬉しかったというか、 驚きがあったよなぁ。 「これは!食べ物なのにまるでノートだ!ノートを食べるぞー。 ノートなのに食べちゃっていいのかな」みたいな。
今だったら別にケーキにどんなに美しくチョコレートで 素晴らしい絵が描かれてあっても、 「食べ物なのに!まるでキャンバス!」 みたいな驚き方はしないとおもうんだよね。
このテーマはもしかしたら そのうち新しい教材の企画につながるかもしれないなあ。
それはともかく。 (絵や文章で物事を)デッサンするというのは、 現在の自分の物の見方を知り 世界と向き合い直すという意味で、 とても有効かもしれないと思った。
最近漠然と、 しかししきりに 「変わりたいなぁ、変われるなぁ、 そろそろもう一皮むけないといけない時期だなあ」 と考えているので、これはなにか良い訓練のひとつかもわからない。
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