こぎとえるごすむ
思う事・日常の出来事をウダウダと書きます。
「テメエふざけんな!」と思っても暖かい目で見て下さいね。

苦情は受け付けません。イヤだから。

2000年12月16日(土) お題

とあるHPに「なぜ走るのか」と、お題が出ていた。
なんでなんでしょ?
でもって、考えたワケですよ。
私の場合、理由は簡単。

「ビリじゃないから」

何のコッチャ?と思うので説明。

私は、御存知の通り(?)運動が得意ではナイ。
運動会や球技大会になると、憂鬱なタイプの人間です。

特に、小学校の運動会での徒競走って嫌だったな。
だって、遅いから。
「別に遅くてもイイじゃん。」ってのはオトナの意見。
子供にとっては、大問題な訳ですよ。
なおかつ、大観衆の前で醜態さらすワケです。
でもって、父は足が速く運動神経抜群だったりする。
子供の頃の賞状や写真、話を見たり聞いたりしてるんですよ。

その息子が、コレですもんね。
一時期、マジで「オレは誰の子だろう?」と思った位。
全然、似てねぇんだよ。
見た目も含めて色々ね・・・(短気なトコはソックリ。(笑))

もの凄いプレッシャーでしたね。
親は、そんなコト気にして無かったんでしょうケド・・・

でもって、自分自身の力以外の”力”に興味を持った。
多分、ゴーカートとか乗った時に「!」と思った。

自分の操作で、自分では出せない”力”が使える。

自分自身の”力”が増幅された様な気がする。

危険な、発想ですね。
でも、事実そう思った。
車に乗ると、普段大人しい人が、豹変するってハナシあるでしょ?
あの気持ち、少し分かる。
多分、バイクの乗り初めは、そんな感じが大きかった。

でも、打ちのめされる。
道具が良くても、勝てない。
まあ、根性なしだからなんですけどね。

だけど、その”増幅された力”を手放せなかった。
この感覚を手放せない。
こんなに興奮することはナイから。

一時期、レベルはひく〜〜〜いですが、首都高を走った。
いわゆるC1ではなく、新環状と言われる高速ステージ。

非日常的な空間で、非日常的な行動。
誰かも分からないヤツに挑み、挑まれる。
踏まれたら、アクセルを踏み返す。
恐怖する心を押し退け、その先へ踏み出す。
その葛藤に勝った時に、訪れるこの快楽。
脳内麻薬が分泌されるのが分かる。
心拍数が上がり、顔が紅潮する。
手が震え、トランス状態へ。

*これは、ただ無謀なダケ。
*勇気でも技術でもナイ。オロカモノの行動。
*今は分かるが、この時は分からなかった。

いつもそうなるワケでは無かったケド、この感覚の為に走った。
クソ面白く無い生活から、俺を引き離してくれる唯一の快楽。
まさに、麻薬だった。
その週末の一瞬の為に生活していた。

この瞬間は、オレはビリじゃないと感じた。
子供の頃に感じた、虚しさ、惨めさ・・・それは無かった。
それが、俺の存在自体を許可してくれる様な気がしていた。
卑屈な俺の唯一の支えだった。

今は、ここまでオカシクはナイ。

でも根底にあるものは変わらない。
クルマに乗れば、俺でも対等に勝負ができる。
クルマに乗れば、あの頃の惨めな俺じゃない。

弱い自分を支えられるのは走ることダケ。
だから、他の支えが見つかるまではヤメられない。

これって、いわゆるトラウマって奴になるのカナ?


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