とあるHPに「なぜ走るのか」と、お題が出ていた。 なんでなんでしょ? でもって、考えたワケですよ。 私の場合、理由は簡単。
「ビリじゃないから」
何のコッチャ?と思うので説明。
私は、御存知の通り(?)運動が得意ではナイ。 運動会や球技大会になると、憂鬱なタイプの人間です。
特に、小学校の運動会での徒競走って嫌だったな。 だって、遅いから。 「別に遅くてもイイじゃん。」ってのはオトナの意見。 子供にとっては、大問題な訳ですよ。 なおかつ、大観衆の前で醜態さらすワケです。 でもって、父は足が速く運動神経抜群だったりする。 子供の頃の賞状や写真、話を見たり聞いたりしてるんですよ。
その息子が、コレですもんね。 一時期、マジで「オレは誰の子だろう?」と思った位。 全然、似てねぇんだよ。 見た目も含めて色々ね・・・(短気なトコはソックリ。(笑))
もの凄いプレッシャーでしたね。 親は、そんなコト気にして無かったんでしょうケド・・・
でもって、自分自身の力以外の”力”に興味を持った。 多分、ゴーカートとか乗った時に「!」と思った。
自分の操作で、自分では出せない”力”が使える。
自分自身の”力”が増幅された様な気がする。
危険な、発想ですね。 でも、事実そう思った。 車に乗ると、普段大人しい人が、豹変するってハナシあるでしょ? あの気持ち、少し分かる。 多分、バイクの乗り初めは、そんな感じが大きかった。
でも、打ちのめされる。 道具が良くても、勝てない。 まあ、根性なしだからなんですけどね。
だけど、その”増幅された力”を手放せなかった。 この感覚を手放せない。 こんなに興奮することはナイから。
一時期、レベルはひく〜〜〜いですが、首都高を走った。 いわゆるC1ではなく、新環状と言われる高速ステージ。
非日常的な空間で、非日常的な行動。 誰かも分からないヤツに挑み、挑まれる。 踏まれたら、アクセルを踏み返す。 恐怖する心を押し退け、その先へ踏み出す。 その葛藤に勝った時に、訪れるこの快楽。 脳内麻薬が分泌されるのが分かる。 心拍数が上がり、顔が紅潮する。 手が震え、トランス状態へ。
*これは、ただ無謀なダケ。 *勇気でも技術でもナイ。オロカモノの行動。 *今は分かるが、この時は分からなかった。
いつもそうなるワケでは無かったケド、この感覚の為に走った。 クソ面白く無い生活から、俺を引き離してくれる唯一の快楽。 まさに、麻薬だった。 その週末の一瞬の為に生活していた。
この瞬間は、オレはビリじゃないと感じた。 子供の頃に感じた、虚しさ、惨めさ・・・それは無かった。 それが、俺の存在自体を許可してくれる様な気がしていた。 卑屈な俺の唯一の支えだった。
今は、ここまでオカシクはナイ。
でも根底にあるものは変わらない。 クルマに乗れば、俺でも対等に勝負ができる。 クルマに乗れば、あの頃の惨めな俺じゃない。
弱い自分を支えられるのは走ることダケ。 だから、他の支えが見つかるまではヤメられない。
これって、いわゆるトラウマって奴になるのカナ?
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