俺は、最終間際の電車にかけ込む。 人込みをかき分け居場所を見つける。
「ふぅ」とため息つきながら顔をあげる。 すると、窓越しに男の姿が目に入った。 30台前半だろうか?すこしガッシリとした男だ。 グレーのスーツを着ている。 いつもなら気にも掛けない姿だ。 でも、俺の目が止まった。 その男は、何やら不思議な顔をしていたからだ。 男は微笑んでいる。 微笑んでいるのだが、悲し気だ。
そして車内の一点を見つめている。 俺は、視線の先を見る。
車内には小振りの黄色い花束を持った女性がいる。 その女性も微笑んでいる。 微笑んでいるが、今にも泣き出しそうだ。 その証拠に、目が真っ赤になっている。
俺は、また男に目を移した。
男が口を開いた。 いや、正確には口だけを動かした。
「!」俺は、とっさに何を言っているのか理解した。 ゆっくりとガラス越しに語りかける、その唇の動きは、こう言っていた。
「お、め、で、と、う」
男は何度も何度もくり返す。
俺は、車内の女に目を移す。
女も声を出さずに、でも確実にメッセージを伝える。
「あ、り、が、と、う」
互いに何度もくり返す、まるでそれが何かの約束事の様に。。。
ドアが閉まり、電車が走り出す。 男は、電車を追い掛けるでもなく、その場に佇む。 手も振らず、手も上げず。 ひたすらに無音のメッセージを発し続ける。 女もそれに答える。 ひたすらに「おめでとう」と「ありがとう」をくり返す。
男の姿が見えなく直前、唇の動きが変わった。 俺には唇の動きが読めた。 でも、俺は途中で目を逸らした。 俺が知ってはイケナイ気がしたからだ。
車内に目を向けると、女は人込みに紛れて行く。 姿は目で追えなくはないが、ヤメた。
そんな必要もない。
終電の2本前、喧噪の中に静寂の空間。 俺は何も考えられなかった、考えたく無かった。
電車は乗り換え駅に着いた。 さあ、終電車は数分で到着だ。 俺は走った、走る必要は無いのだが走った。 走りたかった。 駅のホームへ掛け降りると、ひんやりとした空気が快かった。 弾む息も心地よかった。 振り返ると、乗って来た電車がホームを出て行くのが見える。 物語の終演を感じさせる光景だった。
俺の勘違いかもしれない。 独りよがりな想像なのかもしれない。 でも、それでもイイ。 感じた事は事実なのだから。
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