2001年09月02日(日) |
ワタシはクルマ好きじゃナイ |
認めたく無かったケド、やっぱりそうなのだろう。
”ワタシはクルマ好きじゃナイ”
正確には、クルマ好きじゃ無くなったのかも?
今でも走りに行くし、クルマには時間を掛けています。 でも、最近変わって来たコトがあります。
1、洗車がメンドクサイ。 2、自分で整備するのがメンドクサイ。 3、走ってるのが運動の様な気がする。
何も、洗車するのがクルマ好きの条件とは言いませんが、 昔は毎週の様に洗車してました。 ”綺麗な車に乗りたい”って気持ちがあったのも事実でしたが、 ”キタナイままでもイイや”と思うよりもクルマ好きでしょう。
クルマイジリも大好きでした。 ムズカシイコトは出来ませんでしたが、ネジ外したり締めたりするのが 楽しくてたまりませんでした。 ”自分でやった”と言う事自体が嬉しくて、たまりませんでした。
かつては走るコトが楽しくてたまりませんでした。 町中でも、峠でも、首都高でも走ってるだけで楽しかった。 峠や首都高の独特の雰囲気、ドリフト会場のスキール音。 触媒レスの排ガスの臭い。(笑) 雰囲気を体に感じるだけで楽しい。
それが今はナイ。
これはドウしたコトか?
自分でも分からない。 でも、認めたく無くて今回のオーバーホールや足周りの整備を行った。 良くなりましたヨ、確かに。 感動するくらいエンジンはスムーズになったし、足もイイ。 でも、あの頃の楽しさはナイんですよネ。
ナニが無くなったんだろう?
もう潮時なのだろうか?
爆音響かせ、ペタペタの車高で走る走り屋を眺めて ”若いねぇ、頑張ってるねぇ”等と、のたまいボルシェ辺りを転がす。 ”昔はボクもね、ハチロクとかFDとか乗ってたワケ”とか言う。 ワカったふりしてウンチク並べる。 明らかに勝てる相手だけ、チギって満足する。 そんなエセ”エンスー”を気取る。
そんな元走り屋オヤジになるタイミングなのかもしれない。 こんなヤツに”元走り屋”なんて言われたく無いだろうけど、言うのは自由。 だから言っちゃうもんねぇー。
こんなヤツはクルマ好きなんかじゃナイ。 ”クルマに乗ってる自分が好き”なんですよね。
こんな風にはなりたく無い。 けど、なりつつある。確実に。。。 いまさら車から離れなられない、でも昔の様には出来ない。 となると、知ってるフリしてクルマ好きを気取るしかない。
なんとか、走り屋であり続ける事は出来ないものだろうか? 好きじゃ無いならキッパリと止めればイイけど、未練たらたらだもんなぁ。
もう、クルマ好きとは言いません。
でも、走り屋で有り続けたい。
そんな未練たらたらなコトを考えた一日でした。
ちなみに、ワタシは”走り屋と暴走族は違う”なんてコト言いません。 端から見れば同じでしょう。 どんな大義名分をかざしても、非社会的な事をやってるワケですしネ。 でも、そんなイリーガルな行為に楽しみを見つけてしまったのも事実。 いまだに、メーター振り切る様な速度域での共走(あえて競走ではナイ)に 快感を感じる。アドレナリンが分泌されて、顔が紅潮する。 動悸が激しくなり、手の震えが止まらない。 ”死”を身近に感じる事により、”生”を身近に感じる。 もちろん走ってる時は”死”なんて考えてませんよ。 でも、何処かにその感覚はあるワケで、それを感じるスリルが快感なのだ。
でも、それってクルマ好きとは次元が違うデショ。 クルマが好きでやってるコトじゃナイしね。 そんなコトを一般道で行う事は間違い無く反社会的行為。 暴走族と一緒にされても文句は言えないね。
ホントに、クルマ好きな人は”走り屋”なんて言わない方がイイですヨ。 ”クルマ好き”って言う方が、絶対にイイです。
だから、ワタシは”走り屋”で有り続けるしかナイ。 ”クルマ好き”ではナイのだから。
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