2001年12月14日(金) |
ミエスギチャッテコマルノォ〜 |
「ミエスギチャッテコマルノォ〜」と言ってたCMがありましたね。 (全然カンケーナイんですけどね)
でもって、写真のハナシ。 とあるトコロで、こんなお題が・・・
シャッターを押す時、 ファインダーを覗く時のココロは そのまま写真に反映されるのでしょうか?
うむむ。 ムズカシイハナシですナ。
でも、ワタシの答えはNOです。
私にとっての写真、カメラは変身願望なんです。
は?
なんのこっちゃ。
カメラを構えてる時のワタシは、比較的新しいキャラクターです。 カメラを持ってるだけで、構えてるだけで、新しい。 見なれた街でも新しい。 とにかく新しい。 違うナニかを見つけられる。
そんな気がする。
コレはクルマと同じだ。 免許を取ってすぐの頃、クルマに乗るだけで楽しかった。 バイクに乗るだけで楽しかった。 見なれた街が、道が新しい。 新しいナニかを見つける事が出来た。
でも、いつしかその感覚は無くなった。
ヒトコトで言えば”慣れた”と言う事か。
いつしか、刺激的な非日常は平凡な日常へ変わってしまう。
ココがターニングポイントなのだ。
このカベを乗り越えれば、次のステップにいけるのだ。 ナニかは明確には言えない。 でも、平凡を通り越して、当たり前の事。 生活の一部。 自分自身へと昇華する。
クルマについては”当たり前の事”と言う所までキタかな? ちょっと、ソコで足踏みしてるけど・・・
さて、でもってカメラですよ。 ワタシの場合、カメラはまだ非日常を感じさせてくれるモノだ。
これが日常になり、悩む。 そしてそれを受け入れたトキ、自分の中に取り込まれる。
取り込まれてからも、時々拒絶反応なんかをおこしつつ、 カラダとココロに浸透して行く。
ソコまで行けるかな?
クルマは6年掛かった。 そういうDNAなんだと、ハッキリと認識するのに6年掛かった。
写真は1年足らず。 いまだ非日常なのは納得のできる所だ。
非日常な事をやってる時に、ココロをそのまま反映してくれるか?
そりゃ、してくれません。
ソコには、ナニか昂ったモノや構えたモノ、イメージで作り上げたモノがアル。
でも、それでイイのだ。 順調にステップを踏んでいる証拠だ。 私にとってカメラが特別な物では無くなり、日常を通り越したトキ。
そこに何があるのか?
とても気になる。 その時に、ココロはフィルムに投影される。 ファインダーを覗くと、自分のココロが見えるのカモしれないナ。
それは楽しみな様な、怖い様な・・・
まさに”見え過ぎちゃって困るのぉ〜”って思うかもしれません。
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