2001年05月03日(木) |
死にネタって言葉はわりにイヤじゃない。 |
3年たつのに、amiが死んだことをまだしらない人もいて驚いた。情報が放射状で伸びて拡散していくそのはずれの隙間にいた人なのね。 あらためて驚いたのは「今なにしてるの?」という質問だ。会えないくらい遠くへ行くのと、死ぬのはほとんど同じで、まだ知り合ったことのない人は死んだ人と同じだね。
その後またグズグズ泣いたり泣いたり泣いたりしたわけだけども、答えのないことをまたグルグル考えたり泣いたりするわけだけれども。それは最後の頃amiはわたしに会いたかったのかどうか、という疑問ですよ。 好きだ、わたしのこと好き?というのはセットになってるから安心して好きでいられるのは恋愛じゃないからね。片思いの友情なんて変でしょ。 たった一つのよりどころは、脳死だといわれて5日もたったころ、わたしの声に足の指で答えてくれた20分ほどの会話だけれども。その時は奇跡だと思ったものだけれど、あの夜の声は我ながら一生で一番切実だったから、きっとそのレベルまでいけば誰でもできるんじゃないかなあ。
あと3日早くいかなくてゴメン。と、でもそれでも間にあったはずだ。と、信じるだけではとても難しいから1つでもことばが欲しかったなあ。と、でも答えは沢山もらった。と。
配偶者を亡くすと立ち直るのに5年かかる、とテレビでいっていたので、あと2年はしかたないのでしょうか。
それのつけても幽霊だよ。 タロウのね。実家に帰るとショッチュウ足元を茶色い小さい影が通りすぎるのですが、まあ大抵クッションなんですけど。でも前に黄色い着物を着た子供の幽霊だ、もっとちゃんと見ようと思ったらビールケースが3段つんであった時もあったから、幽霊は変わり身の術をつかうのではないか、というとんでも説はまだないのかなあ。ちゃんと見ようとしちゃダメみたいよ。
しかし今でもタロウのトイレがあったコーナーは大きく回って歩いてしまう。そんな時は「まだこの家にいるな」と思うわけです。 amiもね、今日電話しよう、とかま〜だホンノ一瞬思ったりするわけです。
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