子供の頃は子供は馬鹿なので、ジャーナリストか弁護士になりたいと思っていた時期がありました。 中学受験を考える時期だったので、 わたくしがこんなに飽きっぽく面倒くさがりでなまけものでなかったら、 危なくなってしまうところでした。 2年間合唱に燃えたことも幸いでした。 職人さんの家に生まれ、仕事とは実業のことである としか思えないこともわたくしを救ってくれました。
ジャーナリストになりたい、と思ったのはたぶん ウォーターゲートとベトナム戦争の影響です。 ジャーナリズムという米語に幻惑されたのです。 ペン一本で巨悪を断つ とかね、ペンは剣より強しが基本か。
弁護士も同じようなかんじで、ドレフュス事件とか公害訴訟の影響です。 冤罪ユルスマジ 法を知り弱者を助ける とかね。
この二つの職業は、近代の必要悪というか なぜ明治のはじめ これらが尊敬されず むしろ軽蔑されたのか うんと大人になって分かりました。 長いこと 戦後米風民主主義理想版に幻惑されていたのね。 むろん理想を信念として働く人々もいるのですが、信念が強すぎると別の信念をもつ者に否定的になるのも世の習い。 正義によって別の正義を断罪することもままあるのね。 そしてどちらもゴミの中に首まで浸かるお仕事。 ずぶとくなければ続かないし、弱さがあればゴミにまみれるのね。
先日新聞の、たぶん雑誌の広告で見た見出しが過去最高に気持ち悪くて忘れられないのでここで吐き出します。 『3.11をもって日本には安心という概念はなくなった』
なんかすでにうろ覚えで概念のあたりが正確ではないような気もするけど、 こういう見出し。 これが雑誌の記事ではなく、筆者の信念 思想でもいいや が分かるような副題つきのエッセイだったらわたくしは怒らない。 どんな意見でも発表する権利はあるし、読むも読まないも自由。 わたくしの意見は違うと言うこともできる。 でも最近は報道の名を騙った煽動見出しや、社説でもないのにあまりに分かりやすい思考操作がほどこされた記事やニュースが多すぎる。 理想版の期限がきれたのかな。 大衆を愚民視しすぎて、現実の生活との溝が広がりすぎているようにも思える。
3.11は確かに、関東大震災を知る人もほとんどいなくなった今、そして千年に一度の規模といい未曾有の災害だった。 でも3.11以前も、地震・噴火・台風・豪雨の可能性はいつだって高く、そういう意味では日本には完全に安心できる環境などあったためしはない。 いつか来る それは分かっている でも油断していた、自分の生きている時代にはないだろうと楽観視していた していたかった ほとんどの日本人はそうだったろうけれど、それは責められることではないと思う。 毎日緊張感をもって避難訓練をしていたって、それは安心には繋がらない。 明日なにが起こるか分からない ならば一旦それを忘れて今日を生きようとするのは逃げではないと思うな。 なにしろ人間は不安で病気になってしまうような 心をもった生き物なのだし。
それから、3.11 という書き方はもちろん9.11から派生している。 9.11を意識するならば、もっとも安心から遠い状態 戦争 が真っ先に浮かぶはずだけれども、にぶいのか思い至っていないのか、この見出しからは戦争に対する不安はあまり匂ってこない。 日本は島だし歴史上ほとんど海の外から攻められることなく国内で土地や権力を争ってきた。今、国内でそんなことが起こるとは誰も考えていないし、 記憶に残る最近の戦争の経緯から、かなりの数の日本人はこっちが攻めなければ戦争は起こらないと思い込んでいる。 でもWW�彊聞漾△い弔世辰得こΔ里匹海�では戦争をしているし資源の取り合いは激化している。 経済が行き詰ったら戦争というセオリーもピチピチと生きている。 こんなに何もかもが密になった世界で、まきこまれるという可能性を想定していない、思考の凍結もしくは理想という名の逃避。
日本だけは今後絶対に戦争に関与しない (ほんとはもう結構いろいろ関与したよね) だから軍隊はいらない でも災害の時は便利だから武器を捨てた専門家集団になればいい (こんなこと言うんだったら人任せにせず、徴兵制のように国民はみな数年、災害専門隊での訓練と実務を義務にする、とか言ってみたらどうだろう。少しは安心に繋がるんじゃないのかな。) これは思想そしてある種の人々の飯の種。 永続するもので喰っていく人々もいれば逆もまた同じ。 反対し続けるものがあればそこにはいつだって利権はある。
まあ上の見出しでは戦争のことはたぶんこの人のいう不安の想定に入っていないからいいや。 つまり、ちょっと考えればこれは原発のことを言っているのだと分かる。 もしくはそれとも繋がる経済の下降。 なのにそれを書かない。
『3.11のアレ以来日本はもう安心して暮らせないんだよ、馬鹿じゃなければわかるだろ?まあお前ら馬鹿ばっかなんだから本文読めよ』
もちろんわたくしは怒っているので悪意丸出しですが、言い方を変えればこういうこと。ネット上にあふれる煽りタイトルとおんなじ。 でも元々おんなじなんだ。明治のひとの感覚は正しかった。 まだわたくしの中にジャーナリズム幻想が残っていただけなんだ。 でもそういうルールを知らない層まで釣ろうとすんなよ。 言いたいことをまず見出しに書けよ。 昔は マスコミが大衆の不安を煽る→戦争 という流れがあったけど、 いまはどこに向かわせようとしているのか。 っていうか、誰が どの層 どの集団が利を得るのか。
安心とはひとそれぞれの心の中にあるもの。 眠りにつく時に、明日目覚めることがなくても 明日世界がかわってしまっても、なくなっていても悔いはないと思える。 事故が病が暴力や犯罪が、自分を家族を友人を愛するひとを、突然うばってしまうかもしれないし、今日と同じ姿で明日を迎えることがないかもしれない、 今日の仕事が、勉強が、明日の成功・報酬に繋がらないかもしれない、 その可能性がいつでもあることを知りつつ、 今日を楽しむ、今を生きる 明日の飛躍を信じる 何かに励む、熱中する、我を忘れる、誰かを愛する、信頼する、 その瞬間の中に、幸せとはまた別に自覚なく存在する。 安心には経験と蓄積が必要。 だから子供はあらゆる不安でいっぱい。 何ものからも守られている、といった夢のような安心という概念などない。 大人もちょっとしたことですぐ揺らぐ。 まわりを見回して、今日の業を鑑みて毎日自分で確認するしかない。
布団に入って あー気持ちいい と思う。 これから数時間、何をされても分からない状態に入るわけだけれど、 その間に凍えることも、命を奪われることも、財産を盗まれることも、目が覚めないかもしれないことも、 あるかもしれない・・・ と普段ほとんどの人は考えたりしないでしょう。 それが自覚のない安心。 3.11以降考えちゃう、心配で眠れなくなっちゃうひとが増えたのは事実なんだろうな。 だったらそう書けよ。
世の大きな流れは拡大すれば個の人間からできている。 人為的に向きを変えたような流れはよく見ればわかる。 おそらく強い欲望が向きを変えようとしている。 けれどもそれも人間の業だ。 どちらを選ぶかは自由。 こういうのは嫌いだ、というのも自由。
|