昔風の文学の批評のいいまわしで、 「人間が書けている 書けていない」 というのがありますね。 わたくしはずっと、面白いか 面白くないか 好きか 嫌いか で物事をはかってきたのであまりそこのところを気にしたことがなかった &ジジイの決まり文句 と思ってけっこう馬鹿にしていたところがあります。 今年にはいって図書館でいくらでも借りられるのでしぬほど海外ミステリーを借りて読んでいるわけですが、 大量に読むと分かってくることもあります。 ミステリーというのは必ず最初に犯人のわからない殺人があって、探偵役がその謎をとく という定型をさまざまに書いたものです。 どんなにリアルに状況を描写しようが、 殺人の動機を深刻なものにしようが (どうせ金・色欲・恨みの三点セットしかないのです) 同時期に大量に読むと、どちらもどうでもいいことに思えてきます。 しょせん作り話です。 そのうち殺人やアクション描写、犯人の心理や生い立ちなどを読み飛ばすようになります。 探偵役の人間がどう暮らし、どう考え、どう事件にまきこまれ、どうやって解決していくか、 わたくしの場合、結局そこに興味が集中するわけです。 最近のミステリーは素人探偵がほとんどです。 プロの私立探偵や刑事は、数くすなくなったハードボイルド風の小説にしか登場しません。 素人ってことはほかに仕事をもっている・それぞれ事件とはまったく関係のない日常や人間関係をもっているわけです。 で、 面白くない小説は、人物像というより作者が考えたキャラクター要素が最初から最後まで登場人物にはりついているかんじ。 生い立ち・性格・職業・家族・見た目・生活レベル(海外モノではここ重要)・友人・好き嫌い これらが主役が登場するなり最初から細かくまとわりつくように描かれ、最後まで破綻しない。 こういう人物だからこうなります、のまま。 面白い小説では、同じことをしているようで、 会話や行動からその人物のキャラクターが立ち上がってくる。 リアルの人間関係のように、話せばわかるってかんじ。 もちろんはじめに考えたような人間じゃなかった、もあり。 だんだん変わってくるももっとあり。
こういう風に書けるひとが小説家で昔のひとは、 この作者は人間がかける と言ったんですね。 人間が書けないひとでも物語を構成することはできるので、 こういう人は脚本をかけばいいのではないでしょうか。 人物を立ち上げるのは役者にまかせる、と。 でもそんなに需要ないか。 ドラマや映画や舞台にするには沢山の人間と資金が必要だけど、 本はひとりで書けるし、最近は初版の部数も少ないもんね。
前回の日記で、今月はデジカメを買う と宣言しましたが、 最安値でどこの国ともしれない聞いたこともないメーカーのカメラで3000円というのがありました。 どうすべきか。 悩む。 血圧が140台に下がり、ポーっとしなくなりました。 いえい。
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