虹色過多想い
2004年04月08日(木)  simple thinking
シンプルに考えるってどーゆうことだろう。
あたしは、わかるようでわからない。
両親に何度も言われるの。
「もっと簡単に考えなさい」
「もっと楽に考えて」

簡単に生きれと言われるけれど、あたしにはその言葉が1番難しいのよ。


不安や悩みというものは次から次へと出てきて、消えるということを知らない。
あれもこれも一度にたくさんのことを考えるのはあたしの悪い癖だとわかっているけれど・・・。
精神って、自分でコントロールできそうでできないものじゃない?


まず、ひとつ何かをしなさいってお母さんに言われて、部屋の大掃除をしたの。
中学校から手をつけていなかったラックも整理した。
たくさんたくさんいろんなものが出てきて、思い出というものを引っ張り出してきたわ。
思い出せば思い出すほど、過去を羨ましく思い、過去に苦しむ。

1度、あたしの思考回路がどんななのか自分でも見てみたいと思った。



部屋には大きい本棚と小さい本棚がある。
大きい本棚には小説やらエッセイやら詩集やら・・・たくさん詰め込んであって、全部きれいに並べたの。

小さい本棚には参考書と問題集と高校の教科書が並んでいて、去年の暮れに整理したままだった。
何十冊ってあるそれらを見る度に気が重くなって、たまに捨ててしまいたくなる。
でも捨てられないの。
だって捨ててしまったら終わりだもの。
あの小さな本棚の中身に親はいくらお金をかけてのかしら。


大学に行こうという思いは何で今も変わらないのかな。
ずっと持ち続けていて、それが当たり前だと思っていた。
お母さんはそれをあたしのプライドが高いからだと言った。
じゃあ、あたしのプライドが低かったら今ではその考えをやめていたってこと?
そもそもあたしはプライドの高い人間なんだろうか。
違うと否定したいけれど、もしかしたらそうなのかもしれない。



高校に行けばなんとかなると思っていたけれど、そうでもないみたい。
やっぱり通信制は自分でがんばらなくちゃいけないのね。

全日制の高校に通ってた頃、毎日の小テストが当たり前だった。
英語の単語テストも、構文のテストも。
古文の単語テストも。
世界史の一問一答も。
毎日あるそれらのテストに時々疲れて、うんざりして。
それでもしょうがないって言葉を使って毎日勉強した。

今まで当たり前にあったあのテストたちのありがたみが今ならわかるの。
毎日うんざりするテストを作っていてくれた先生に感謝の気持ちさえ感じる。


あたし、また1年高校生をするのに、英語の授業もないのよ。
入試では世界史を選択しようと思っていたのに、これから勉強する社会科は政経と現代社会なんですって。

頭の中はどうやって勉強しようだとか、なんの教科を勉強すればいいのだとかで、破裂してしまいそうだ。

中学1年からずっと塾に通わせてくれた両親には、あたしを予備校に通わせるお金だってもうないんでしょう。
あたし、現役で入るってあんなにも言ってたもの。


人生ってうまくいかないな。
うまくいかないのはあたしの努力が足りないからなのか。
もっとシンプルに物事を考えれば、事はなめらかに進むのかしら。

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