2004年04月08日(木) |
『台風 6』(女の子ヒカル) |
夜中、ふと目が覚めた。 それほど寝苦しい訳でもなかったし、枕が変わると眠れないタチでもない。
台風の風の音のせいかとも思ったが、寝る頃にあれほど聞こえていた風の音も、今は聞こえない。 ――耳を澄ませば、まるで空調の音のように、雨が降る音が聞こえてくるだけで。
しかしそれは、この部屋の静寂を破るほどではない。
しずかな部屋で耳をすませば、かぼそい音楽が聞こえてくる。
「―――――――?」
ゆっくりと、緒方はベッドから身を起こした。
暗いはずの部屋の片隅に、ほのかな灯り。 それが、ゆっくりと変化して、繰り返し、くりかえし、同じ画像を映し出す。 そして流れる、かぼそい音楽。 身動きすれば、それだけでかき消されてしまうほどの。
――台風情報と、衛星画像を流し続けるテレビをつけたまま。
――ヒカルは、自分のベッドの上で、膝を抱えたままその画面をじっと見つめていた。
「―――眠れないのか」
緒方がかけた声に、ふ…とヒカルが振り向く。
「ごめん……起こした?」
「いや…何となく目が覚めた」
緒方は応えながら、冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出して、一口飲んだ。ヒカルはまた視線を戻し、繰り返し流される台風情報の画面を見つめる。 昼間の――普段のヒカルでは、想像がつかないくらいに、沈黙を守る彼女。
――しかしこれもヒカルなのだと、何故か諒解できた。
……たいした確信も、ないのだが。
緒方は夏用の薄い布団を頭から被ったままのヒカルの横に、ぼすり、と腰をかけた。そして同じように画面を見つめる。 そこには、30分毎の雲の動きが、ゆっくりと、コマ送りに映し出されていた。 白い雲の筋と、渦巻く台風。そしてその中心の目。 それらが、ゆっくりと、変化してゆく。形を変えて。 形を変えて……今は、台風は近畿地方の近くにいるようだ。
ヒカルは何の表情も浮かべずに、じっと、その画面を見つめ続ける。
「……飲むか?」 飲みかけのミネラルウォーターを差し出すと、ヒカルはこくん、と頷いた。 受け取ったそれを一口飲んで、また、返す。 ――そしてまた静寂。
重くもないし、痛くもない。 完全な静寂かといえば、そうでもない。テレビから流れてくるのは、かぼそいピアノのBGM。 なのに、とても「静か」だと――そう感じた。この沈黙の空間が。
そして彼はもう一度彼女に聞いた。
「――眠れないのか――?」 「………わかんない。」
テレビを見つめたまま、ヒカルは呟く。 画面は、台風が接近しつつある港の様子に変わっていた。
「――オレはここでテレビを見てるだけなのに」
その灰色の目は、テレビから逸らされない。
「――いつのまにか――時間はたってるんだ。台風も過ぎてゆく」
ヒカルは、さらに膝を抱えた。
「それが不思議で……目がはなせない」
「……朝までか?」
「さぁ………」
こてん、と、ヒカルの頭が揺れて、緒方の腕に触れた。 かすかな重みに苦笑しながら、緒方も画面を見つめる。
刻一刻と変化する雲。移動してゆく台風。去ってゆく風。 ――今外で降っているであろう雨も、時がたてば止むだろう。
自分たちは、ここにいるのに。
「確かに不思議だが……許せんな」
「?」
「おいて行かれそうになる……ことが、恐くなる」
緒方の言葉に、ヒカルは目を丸くした。まさか彼からそんな言葉が口をつくとは思えなかったので。 …そして、実は自分が「そう」なのだけど、言えない言葉だったから。 緒方は、そんなヒカルの様子に気づかずに、テレビの画面を見ながら、憮然として言った。
「しかしな……そう「思わせる」こと自体に、どうしようもなくムカつくんだよ」
だから許せないのだと。彼は本気で眉をしかめた。 そんな彼に、ヒカルは思わずくすりと笑う。
「……なんか………すっげ緒方さんだなー」 「なんだそれは」
緒方はくしゃ、とヒカルの髪をかきまぜた。 ヒカルはさして抵抗するでもなく、緒方の腕にもたれたまま、くすくすと微笑う。
「重いぞ」 「……んな訳ないじゃん。オレ、そんなに重くないよ」 「俺はお前のクッションでもソファでもないんだぞ」 「…それも良いかもね……」 「俺の肩が冷えるだろうが」 「んじゃコレ一緒に被ってりゃいーじゃん」
ヒカルは、テレビの台風情報を見つめたまま。 しかし身体を少し傾けて、ほんの少し緒方にもたれて。
緒方はやれやれと面倒臭そうにしながら、ヒカルが被っていた薄っぺらい夏布団を引き寄せ、自分にも掛けなおした。
テレビに移るのは、刻々と変化する台風情報。
部屋に流れる、かぼそいピアノの音。
雨の音は微かにしか聞こえてこない。
そんなそれらが。
ゆっくりと、ゆっくりと、意識から薄れてゆき。
ふたりは、本人が自覚しないままに、眠りに落ちていった。
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