petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2005年01月18日(火) 『117』(遅れたけれど緒方さん誕生日小ネタ)

それは。ひんやりとした、冬の朝。

空調も床暖房も効いている筈なのだが、窓は白く曇り、そこからじわりと床を伝わって寒さがしのびよるような気がする。

いつもなら聞こえる北風の音も聞こえない。

いつになく、静けさが漂う朝だった。


「……緒方さん…?おはよー」

「ああ」

ヒカルが寝室からパジャマのまま、眠い目をこすりつつ緒方に声をかけたが、
彼は、ソファに座ったまま、ぼんやりと応じただけだった。

「…………?」

緒方にしては珍しく、まだ着替えてもいない。彼もヒカルと色違いの、黒のパジャマを着たままだ。
そしてコーヒーが入ったカップを手にしたまま、口をつけようともせずに、じっと大きなテレビ画面を見つめている。

「あ……」

そこに映し出されていたのは、一瞬で廃墟と化した、美しい港町。
きらびやかな街の明かりも、人々が働くビル街も、まだ家ですやすやと眠りに落ちていた家族も………。

なくなった、あの時の映像。

空からのそれは、次々と上がる火の手と黒煙を映し出す。
――見えてはいても、何もすることができず。
広がってゆくだけ。
黒く焼けていく、焦土が。

何とかできないのか。
消防車は?水は?!

人が屋根の下でつぶれているという。
走る大人。泣く子供。
早く、はやく助け出さなければ。
――動かない、屋根の木材。
その下に。


「……神戸…?」

ヒカルは、ソファの緒方の隣にすべりこむように座った。
画面を見たままで。
緒方も、また。

「……ああ」

…ふたりの目の前に映るのは、「あの時」の映像。
そう。これは過去の出来事。
しかし忘れられない、あの日のことを。

ヒカルは、膝を抱えたまま、ことん、と緒方の腕にもたれた。
それを感じて、緒方はコーヒーをテーブルに置くと、ヒカルがもたれる腕をそっと引き抜いて、肩を抱き寄せる。

ふたりが触れ合う、そこだけが、ほんのりとあたかい。


――あの日を祈る人々は、竹の中のともし火を守っていた。
冷たい雨の、中で。
この、「117」の灯りを、絶やさぬように。


「1月17日か……」

ヒカルは、緒方の胸に頬を寄せて、囁いた。

「……緒方さんの、誕生日でもあるんだよ…。…忘れてた?」

「…そういえばそうだったな」

「うん。…たんじょうび、おめでとう」

ヒカルの言葉に、緒方はひっそりと苦笑する。

「…おめでとうという日でもないだろう……」

――多くのひとの命がなくなった、こんな日に。


「ちがうよ」

ヒカルは、緒方からテレビの画面をさえぎるように起き上がり、緒方の膝に乗り上げた。そして正面から、彼の顔を見つめる。
そしてふわり…と微笑むと、ヒカルは緒方の首に腕をまわして、抱きついた。

「ヒカル…?」

思わず緒方もヒカルの背に腕をまわす。
…いいや。それは無意識にぬくもりを求めたのかもしれない。
この腕の中に。

「ほら……あったかい」

耳元で囁かれる、やさしい響き。

「俺にこのぬくもりを伝えてくれたのは…緒方さんだよ」

いつも。いつも。
気がつけばそこにある、大きな手。
前を向けば待っている、広い背中。
飛び込んでも受け止めてくれる…腕の中。

「…1月17日は…あの地震が起こってしまってから、悲しい日になってしまったかもしれないけどさ」

――テレビは繰り返す。あの日の惨劇を。

「俺にとっては……緒方さんが生まれた、大事な日で」

――なのに。この腕の中の彼は、どこまでもあたたかくて、優しい。

「しかも緒方さんと初めて出会った、記念日」

ちょっとすごい出会い方だったけど。…そうくすくす笑う息遣いが、耳元でくすぐったい。

「ヒカル…」
「なに?」

緒方が呼ぶと、ヒカルは少しだけ身体をはなして、恋人の顔をのぞきこんだ。

「……………」

言葉にしようと、口を開きかけても。
言葉に、ならない。

そんな彼を見て、ヒカルはふ、と微笑んだ。
どこか泣き出しそうな表情で。


「忘れないで」


そう言ったヒカルを、緒方は衝動のままにくちづけた。


――わすれないで。
         自分が生まれた日を。
――わすれないで。
         アナタが生まれなければ…今のぬくもりもないのだと。
――わすれないで。
         この日が、はじまりだから。



ヒカルも緒方にしがみつき、声もないまま。
むさぼるようなキスだった。
どうしようもなく、お互いのぬくもりがほしくて。
――それが、愛しくて。


かすかな音をさせて、ふたりの唇がはなれる。
けれど名残を惜しむかのように、触れるだけのキスが何度も繰り返された。

…そして、その合間に、ヒカルが囁く。

「……たんじょうび、おめでとう」

それからまたキス。少しだけ、音をたてて。
お返しにキス。ついばむように。

「ありがとう………」



それは、ひんやりとした冬の朝。
テレビでは、どこかの教会で賛美歌が高らかに歌われていた。


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