ときどき わたしはどこかで とまりっぱなしなのではないかと おもうことがある。
みんなが 難無くとおりすぎるところで よりみちして みちくさくって ぼんやりのろのろしているのではないかと。
小さいころから そうだったような気がするのだ。
保育園のころは 御飯をたべるのが遅くて みほちゃんという女の子とふたり いつも工作室にいれられた。 毎回毎回はやくたべようとするのだが、 いつのまにかみんな食べ終わっているのである。
小学校にはいって 夏休みには工作の宿題があった。 2学期がはじまるとみんなそれぞれが 自分の工作を体育館にならべにいった。 わたしはその時はじめて 工作の宿題があったことを知ったのだ。 みんなに「さとみちゃん工作は?」ときかれるので、 とっさに「なくなっちゃった」と嘘をついた。 これがわたしの最初の嘘の記憶。
なんでみんなは工作の宿題のことを 知っていたのだろう? 不思議におもったものである。
登校日もしらなかった。 公園でいつものようにせみとりをして 家にかえったら ともだちがやってきて なんで今日学校にこなかったのかという。
いつも膜があるような気がした。 自分の世界と外の世界の間に。
時間の流れがばらばらで、 学校にいくと 外の世界の時間に ひょいっとのっからなければならない。
ひょいっとのっかる瞬間が 結構こわくて毎回びびった。 自分の世界とのギャップがあるときは、 うまくのっかれなくて おっこちた。
気がついたら わたしはとりのこされて、 工作室で御飯をたべているんじゃないだろうか。
ここ数日、 小さいころによく味わった あのこわさみしい感じがよみがえる。
深いところに沈み過ぎていて あっぷあっぷしている。
深いところもおもしろいのだが、 ずっといると息苦しくなる。 明るい太陽のあたるところで へろへろ笑っているのも好きなのだが、 そればかりしてると 世の中がうそっぽく感じてくる。
じゃあどうしたらいいのだろう。
いまだにわたしはその調節がへたくそだ。 かみひとえのことなんだけどな。
かみの裏側をあるくのと 表側をあるくのでは ずいぶんと違うものだ。
さてさてねるとするか。 ちょんすけや。
さっきから ちょんすけめが、 キーボードの上で わたしの指のじゃまをする。
手も肩もふんだらけ。
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