入院しているともだちがいる。
ここ1ヶ月ほど、 週1回彼女のところに行って 2、3時間ほどおしゃべりをするのが わたしの習慣になっていた。
彼女の病院にいくまでに、 駅をおりて川沿いをしばらく歩くのだが わたしはその道をいたく気に入っている。
右手に川をみながら、 左手はいろんな植物がはえていて 毎週あるく度に風景がかわる。
今日はぼたん桜の花吹雪と いろんな色のつつじと椰子みたいな木の変な花がよかった。 川の水は粘土の平野みたいで 水の上をあるくラクダのことを考えた。
彼女は産婦人科に入院しているのだが、 そこの産婦人科病棟というのは 病院らしからぬ 妙に明るいエネルギーがあるように感じる。
赤ちゃんパワーなのかしら。 廊下をあるいていると、 赤ん坊の泣き声がきこえてくる。 地球の世界にまだ慣れてないような 宇宙ぽい声質。
今日で彼女とふたりで会うのはおしまいだ。 来週あたり無事に生まれそうなのだ。 次あうときは3人になっているはず。
彼女のお腹をさわると うすい皮一枚のその中に もうひとり奴がいる。
うごいてお腹の皮がつっぱるのをみて エイリアンみたいだといって笑っていたが、 人間の中に人間がいるなんて とても不思議な感じ。
彼女とまったりと 時間をすごして 帰り際、 なんだかいとおしいような 淋しいようなきもちになった。
またね。 生まれたら電話するわ。
うん。あいにくるわ。 健闘を祈る。
そう言って 部屋をでてきた。
帰りも川沿いの道をあるいた。 夕日がちょうど黄色いところで まぶたがきもちよかった。
大切なものがあるということは 幸せだけれど、 出会うということは 必ず別れがあるから、 別れる辛さがふえてしまうなあ、 とおもった。
大切な人とか 好きな風景とか そういうものを いとおしくおもうときに 必ず淋しい感じがやってくるのは そのせいだ。
この間酔っていた時に 誰かが、
この世界のすべての大切なものと自分が 一瞬にしてシュっと消えるのが 一番幸せなんじゃないかな
といったコトバをおもいだした。
そうかもしれない とおもった。
この宇宙の人間の人生の前世の しくみは ほんとうに どうなっているんだろうな。
*やっと日記と日付けが一致しました。 ちなみに4月22日の予測日記は ともだちと飲んだことだけ予測的中。
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