
目がさめたら 自分は人間型の泡盛樽であった。
部屋中にお香のかおりが充満していて おきているのに夢の中のように世界が淡い。
そこらじゅうに 宴のあとのさみしい空気がただよっていて 泡盛樽になりはてた 自分の情けなさを助長した。
昨夜は南風でバリ反省会という名の のみ会だったのだった。
おいしいお魚や なつかしいナシゴレンや ビンタンビールや 泡盛やポルトガルワインが カラフルだった。
2軒目は泡盛ボトルをみなであけた。 そして終電で帰ろうとする仲間を 強引にひきとめてのみつづけたのだった。
バリのシャーマンと その言葉を通訳する弟子のものまねを ともだちとふたりして 上手にできたので うれしかったのをおぼえている。
そして3次会は我が家にきた。 相棒もちょんすけも一緒になった。 泡盛をたくさんこぼした。
バリで買ったお香の煙りが 刺激的で心地がよい。
そのあたりから記憶がないのだ。
気がついたら朝で 自分は泡盛樽で みんなはいなくて なぜか部屋には 以前ネパールやインドを旅した時の 写真が散乱していた。
お皿があるけれど いったい何をたべたのだか 相棒は初対面のみんなと 何をしゃべっていたのだろうか 自分は異常な言動にはしらなかったか みんなはいつ帰ったのだか 自分がどうやってねむったのだか まったく覚えていない。
記憶がおぼろどころか 完全に喪失しているのだ。 こんなのは初めてである。
なんと 神秘的な体験なのだろうか。
夜になって やっと現実感がわいてきた。 お番茶を大量にのんだ。 梅干し御飯もたべた。
今は野菜のたくさんはいった トマトスープがのみたい。
そうだ。 トマトを買いにでかけよう。 川沿いをさんぽして 桜の下をあるいてこよう。
さみしい感じが ちょうどよい。
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