へそおもい

2015年02月02日(月) 加計呂麻島の戦跡

加計呂麻島
大好きな島。
ある意味、
命を助けてくれた島。

島について
車を走らせはじめると
なにか涙がこみ上げて来た。
やっと会えた。
というような、
大好きなおばあちゃんのことを思う時のような、
不思議な涙。

加計呂麻島にはいくつか戦跡があって
いま、行かねば、
とおもった。

なんとなく
いままでいく気になれなかったのだが、
自然と車がそちらに向かってた。

相変わらず人けがない。
ほとんど車とすれ違わない。

細いくねくね山道をのぼると、
眺めのいい戦跡の入り口に。

案内板の前で立ちすくむ。
結構、まわるのに時間がかかりそうだ。

この山までのぼるのも
心細かったのに
この森の小道を
ひとりでいく勇気がない。

車は一切止まっておらず、
だれも来る気配はない。

もう、引き返そうとおもった。

でも
せっかく来たから
一曲歌って引き返そうと
おもった。

ちょうど太陽が雲間から
顔を出した。

ウクレレを出して、
一曲うたう。

だれもいないから
大声で
こんな広い場所で
気持ちがいい。
海が見える
風が自由。

思いっきり歌っていたら、
突然、車がやって来て
びっくりした。

乗っていたのは
細身のやさしそうな男性。

よかった!

ウクレレを車に隠すように乗せて
その人の車にかけよる。

怖くて行けないので
一緒に回ってもらえますか?
とお願いした。

いいですよ。

と、快く。

その男性と
戦跡をまわることになった。

その人は
津波の調査をしている
大学の先生だった。

島のおじいおばあにインタビューをして
津波や地震の伝承をしらべたり、
堆積物を掘り返して
津波のことを調べたりしているらしい。

奄美には、津波は来ないと言われていたが
明治44年に、喜界島地震があったそうな。
マグニチュード8くらいで、
この辺りは震度6だったとか。

あと、伝承では江戸時代の末期に、
大きな津波が来ているらしいのだとか。
太平洋側は10mくらいの津波が来たのだという。

専門家が講演をするように分かりやすく話してくれて
なんだか特別授業を受けているみたい。

弾薬庫や、水を貯める水槽。
砲台跡や、監視塔。

その建物には
足を踏み入れるのに勇気が必要だった。
かつてここでくらしていた兵士たちの
いろいろな思いがそこに残っている気がして。

でも
その先生は

戸惑いなくすたすたと
建物の中へ。

わたしは、心の中で
先日友に教わった呪文を唱えながら
ついていく。

ここで人は死んでいないだろうが
なにか、生々しい気配。

先生は、おじさんを、戦争でなくしているのだという。

日本も住みにくい場所になってきたからな。
津波や地震だったら、対策はできるけど…
いまの世の中は…
日本にいても安全と言えない世の中になってきたからな。

こういう、戦跡があること、
大阪に戻ったら
いろんな人に伝えてくださいね。

と言われた。

その建物のてっぺんは絶景だった。
人工物がほとんどみえない、島と海。
昔から変わっていないのだろう。

地球の肌。

先生は、もともと火山の研究をしていたが
普賢岳の噴火で、友人を亡くし、
そこから防災の方に研究の軸が変わってきたのだという。

何かあった時のために
水の浄化の仕方を覚えておくといいと言われた。

山肌に野生化したヤギが見えた。
落っこちそうな崖のところで
草を喰むヤギ。

すみずみまで
みて
また元の駐車場にもどり
先生と別れる。

入れてよかったです
ありがとうございます。

僕もおもしろかったです。

不思議な出会い。

ちょっとしたことだけど
島を旅していると
すべてが偶然ではないことが感じられる。

こんやは、
このエピソードだけ。

その後も
すてきな人たちとすごした
加計呂麻島の旅。

きょうはそこを離れて
いまは奄美の都会の宿。

明日は大阪だ。

大阪の生活も
2ヶ月を切った。

大切に大切に
がんばろう。

とにかく
シンプルに
自分の内側に
みみすますこと。


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はたさとみ [MAIL]

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