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■ すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER/森 博嗣
『すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER』/森 博嗣 (著) 文庫: 522 p ; サイズ(cm): 15 x 11 出版社: 講談社 ; ISBN: 4062639246 ; (1998/12) 内容(「BOOK」データベースより) 孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平と女子学生・西之園萌絵が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。
センタ、へビィスモーカ、ウイスキィ、クーラ、ヘリコプター、ミステリィ、エネルギィ、ストーリィ、レーシングカー、ハッカー、プログラマ、クラッカー、ウイルスチェッカ、フロッピィ、リアリティ、インタヴュー、スプリンクラ、マスター、フィルタ、コーヒーメーカ、スクリーンセーバ、グレィ、スピーカ、エレベータ・・・
これは、今読んでいる森博嗣の 『すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER』 というミステリに出てくるカタカナ表記だ(最後の音が伸びるもの、あるいは伸びる可能性があるもの)。これらが気になって仕方がない。
私としては、現代日本文学を読むのは非常に珍しいのだが(最近、いしいしんじにはまっていたけれど)、「理系ミステリ」とかナントカ言われている作品で、ちょっと面白そうかもと思ったので、図書館で借りてみた。借りた本は7年前に出版されたとはいえ、ボロボロになっていて、ずいぶん多くの人が読んだのだろうなと推測できるような代物だった。
しかし内容的には、この程度の「理系ミステリ」は海外にはいくらでもあるので、ちょっとがっかり。それより読んでいる途中で、一つ一つの言葉にひっかかってしまうのが困りもの。
上記のカタカナの他に、良いですね、良いね、良いかしら・・・などという「よい」と読むのか「いい」と読むべきなのかわからず、納得のいかないものもある。これらは、作者のこだわりなのだろうが、作者の癖を押し付けられているようで、どうも気持ちが悪い。
カタカナには何か一定の法則があるのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ(私が気づかないだけかもしれないが)。一応、最後がYで終わるものは、「ィ」に統一されているようだが、他はどんな統一性があるのか、よくわからない。
時々元の英文はどうなっているのだろう?と思ってしまい、おっとこれはもともと日本語だったなと苦笑せざるを得ない部分もある。現代文学では、翻訳のほうが、きれいな日本語になっている。
全体的に会話が多すぎるのと、詳細に書き込んでいるというのとは違う、余計な記述が多いのも気になる。例えば「彼女は甘いものがあまり好きではなかった」・・・だからどうなのか。
実際にその場で彼女は甘いものを食べている。甘いものが好きではないから、それが苦痛であったとか、拷問のようであったとか、結局あまり食べなかったとか、甘いものが好きではないゆえの結論みたいなものは書かれていない。だったら、こんな記述は不要じゃないのか?それとも、あとでそれが重要になってくるのだろうか?
というわけで、日本文学の場合は、裏に別の言葉がないだけに、いろいろとあらさがしをしてしまう。翻訳だったら、おかしいなと思っても、きっと原文はちゃんとしているんだろうと勝手に思って、ある程度までは大目に考えるのだが、日本文学はそうはいかない。
2005年11月01日(火)
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