業務日誌
DiaryINDEX|past|will
今日は初の助勤がある。助勤とは、普段働いている時間以外に、イベントなどで混む駅へ旅客整理を助けに行くこと。横浜支社内からいろいろと依頼が来る。今日のぶんは、6月頭に応募したものだった。
勤務先は石川町。今日は横浜国際花火大会があるからだ。 14時勤務開始のところ、13時過ぎについてしまったので、モスで昼食。その後駅の中へ。改札の中の事務室(内勤というらしい)は二階にまでつながっていた。2階で着替え、指示を受ける。テンポラリーは自分含め4人。他3人とも藤沢駅の人だ。助勤は何度もしているようで、助勤を記録する紙にいくつも書いてあった。
テンポラリーの仕事は、ホーム整理。助役に時刻表やマイクと旗まで渡され、駅員らに熱弁する駅長に「スイカのチャージをいかに今させる案内を」との指示を受け、ホームに向かった。お帰りのきっぷはすいている今のうちに・・・というやつである。 まさか、マイクまで持たされるとは思わなかった。戸塚ではそれは駅員の仕事だ。テンポラリーがさわる物じゃないと思っていた。2つのホームを2人ずつ担当。マイクはホームで一つ。自分はM川さんという人と南行ホームに行った。ホームにここの駅員は立たないのである。ホーム上に小さい待合室があり、そこで待機。去年ついてなかったという冷房がついていた。花火が始まるまでは、30分おきに交代して立とうとM川さんと決めた。彼は慣れているらしくすらすらとマイクを扱った。自分の番がきておそるおそるマイクを握る。最初はかんだりもしたが、数をこなすうちに慣れてきた。やってみるとおもしろい。M川さんによると、石川町はだいぶ自由らしく、マイクを持たせてくれるのはここくらいだという。彼はさらに構内テレスピの使い方や、無線機を持参し指令等を聞いていた。専門用語も色々教わった。一体何者・・・(汗)
16時をすぎると降りる人が増えてきて、数分しないと客がホームから途絶えない。その間も頻りに「お帰りの時間帯はきっぷうりばが大変混雑いたします・・・」と繰り返す。17〜18時が入込みのピーク。横浜地区センター(略して"地区セ")から来て同じくホームに立っている社員の人は、「こんな時間に来てもいいとこは一杯だよな」と漏らす。
19:30、ドンパチ始まった。パタリと客足が途絶える。ホームに立っていたガードマンらが順次休憩に入る。うちらも休憩のはずだが・・・。ガードマンが急遽多くなり、弁当が足りなくなったらしく、結局ファミマの弁当が支給された。しかもホーム事務室で列車"見ながら"食え、と。まだ一人立ちを続けていたので、その合間に食べた。花火終了は20:40らしいが、20:30すぎると、引上げ客が増えてきた。ここからは2人立ち。暗いので一人は前でカンテラ(合図灯)、もう一人は中央でマイクをもってやった。これも30分交代。カンテラもまた手を挙げるのと違っておもしろい。階段付近に立っていたガードマンと話したりもした。南行よりも北行(横浜方面)が混む。北行の2人は大変そうだった。南行は10分間隔があいた後意外は比較的楽だった。
そのまま引上げ客がすくのを待ち、自分たちが帰れなくならない時間まで仕事を、との事だった。予定の22時をすぎ、23:30まで延長となった。 23:53の赤羽行最終で錦糸町へ帰った。錦糸町0:51。もちろん終電。家についたのは1:10であった。
来年もやりたい。そして、もっと助勤してみたい。そんな気になった1日だった。
|