ビー玉日記
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2000年11月16日(木)  「トーキョー・ハッピデイズ」について語る。

こどもの頃、好きなテレビ番組の続きを想像しながら眠って、見たい夢をみるというのが特技だった。
私のものを書くという行為は、他人の作るものに満足がいかなくなって、自分勝手に続編や物語の行方を考えることからはじまった。

だから以前書いていたのは、もっと空想的な世界で、
あまりに突飛で自分には絶対ありえない、という類が多かったと思う。
もちろんそういうのは今でも書くし大好きだけど、それより今は
現実に目を向けることが多くなった。

そのきっかけを考えてみると、オウムの一連の事件だったかもしれない。
あの後からコドモが残虐な殺人事件を犯したり、
ストーカー殺人とか、
今まで物語の中でしかありえなかったような事件が次々に起こって、
虚構のラインを現実が越えてしまった。
下手な想像より事実の方がずっと「ありえない」世界に踏み込んでいる。
これを越えるフィクションは作れないかもしれない、と思った。


もっと身近な事実は虚構よりおもしろい。と気付いた。


何もなく平穏無事に暮らしていることほど幸せなことはないと思う。
「トーキョー・ハッピーデイズ」はそういうコンセプトの下に生まれたもの。
“普通”なことはつまらないのではなく、いかに幸せなことか。

身近なことを書く、ということはどうしても等身大の自分、もしくは周囲の人を投影することになる。
想像することの前に土台があるので、リアリティがある。

たぶんこういう話は今しか書けない。
5年前なら書けなかったし、もう少し年をとったら違うものになるはずだ。
その時の自分でしか書けない生々しさを大切にしたい。



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