unsteady diary
riko



 痛みがないゆえの孤独

背景にどんな文章があるのかをはっきりしないまま
独り言を続けるのは、解りにくくてなにか卑怯な気もするのだけど、
呟かせてください。


ふと解ってしまった。
それとも、気づいてしまった?
いま私がなぜ触れ合わないのか。
怖いから。
忙しいから…じゃない。
落ち着いているから、淋しくないからでもない。
ずっとずっと、怖いんだ。
一歩が踏み出せたときの自分の感覚をずっと思い出そうとしている。
なにが違うのか。
なにがわからなくなってしまったのか。

ときどきカキコするわりと明るい自分と。
語りたい言葉は他人に向けるとまるで勢いを失ってしまって、
その伝えられなさに惑う自分と。
融け合わないままで。
双方向の会話のなかだと、書いても答えても、なにか尽きない部分があって。
でもそれは私にとっては望ましいわけではないものだから。
どんどん殻が厚くなっていき。
夏頃までにはきっと、立派な生ゴミになっていそうな予感。


ネットでの付き合いは、痛みが伴わないから楽でいいけど、そのぶん孤独になりがちだから、依存する前にもっとコミュニケーションを考えなくちゃいけない、というある人の痛みのある文章を読んで。
素直にそうだなあって思った。
確かにネットは出会いのきっかけは平等にくれるけど、
その後は自分の姿勢だけ。
賑わっているほど近づけない場所があったりすると。
遠巻きに眺めている。
それがただのスタンスのとり方の違いならいいの。
それが私にとって気持ちよいものならば。
だけど、そうともいえないようで。


透明な壁をつくりだしているのは、私の意識。
ないものを、あるのだと感じる。
近付いて、その手で宙を切って、そこにはなにもないのだと気づかなくちゃいけないのに、透明な壁にカラダをぶつけたくなくて、足踏みをしている自分の姿。
そんな自分は、垂らされる蜘蛛の糸を、実は片っ端から切っていってるような気もする。


透明な壁は、とりあえず自分も相手もクリアに映す。
それはいつもの普通の会話。
ただ体温だけが伝わらない。
表情が見えない。
沈黙の合間のため息が聞こえない。
会話するくらい大きな声は、壁がないかのように届くのだけど、
心のなかでしか聴こえないくらいちいさな呟きは
届かない。
その壁を越えない。


この怖い気持ちは、どこからわきあがるんだろう。
なぜ進めないんだろう。
傷つくのが怖いと思う自分の弱虫さが、また自分を惨めにするだけなのに。
もしかしたら傷つきたいのかもしれないと思う。
それはたぶん、傷ついてでも得たいという気持ちなんだろうと思う。
それができないから、なにかがおかしいような居心地の悪さなのか。


年末、ひとつの思いがあって、冗談じゃ済まされないと消去した…つもりで。
でもまだこのPCのゴミ箱のなかにある、それは。
りょうかさんを経由して、なにかあったときは読んでもらうつもりの文章。
だけど伝えるほどの価値のあることなんてほんとうはなにもないのかもしれない。


ネットは、彷徨うと苦しいものも目に入ってきて
ときどきは、文章に涙が止まらなくなったりもするけど、
もしかしたら。
自然と、なにかの力を借りることで。
ひとりきり、ずっと自分しか見えていないなら、
それが苦しさだってことも気づかないでいたかもしれない
いろんなカタチの気持ちを、掘り起こしてくれる文章に、
こうやって泣かせてもらっているのかもしれない。
とりあえず、気づかないよりは気づくべき…なはずだから…と思い込むよう努力する。




2001年01月30日(火)
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