【復活!】ダイエットなDIARY
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2003年08月31日(日) 桜島

若鷹軍団の歌はようやく消えてくれた。








ゲンコーをやらなければならないのであるが、うつろな気持ちのままホテルにこもっていても何もできないし、ベッドメイキングや掃除をして欲しいならその時間帯は部屋を空けなければならないから朝食後外出した。





桜島へ行くことにした。






西鹿児島駅のそばにホテルはあるが、そこから路面電車である。

路面電車は一律160円。


どこまで乗っても、一駅だけでも160円である。


路面電車に乗り、フェリー乗り場近くで降りる。



鹿児島市と桜島町とをつなぐ桜島フェリーはなんと24時間運航だそうだ。

すげー。


さらに料金も片道150円と激安である。






かといって不便かというとぜんぜんそんなことはない。


大体10分おきに頻繁に船は発着する。

路面電車は7分おきである。


都内と比べると、激安かつ便利。


東京は別の国なのではないかとさえ思う。









鹿児島−桜島間の所要時間は15分だ。


海はものすごくきれい。


潮の香りも心地よい。



遠くに漁船や海上自衛隊なのか保安庁なのかしらないが砲台のついている船も停泊している。




桜島というのはとてもきれいな名前である。


が、なぜそう呼ばれるようになったのか、そんな由来を調べる気力は心がうつろなので、ない。









島に着いたが、特にどこが観たいわけでもなく予備知識も仕入れてこなかったので行く宛がない。


心もうつろなので何かをするという気力も起きないし、何をしても孤独を感じるだけである。



心がうつろだと、ついネガティヴになってしまう。

いかんいかん。








埠頭で海を眺めて帰りのフェリーへ乗った。



暗い顔をして海を眺めていると自殺志願者と間違われそうだ。








鹿児島は東洋のナポリと呼ばれているらしい。


現在は姉妹都市となっているそうだ。



「東洋の〜〜」とかいう言い方は西洋中心的で好きではない。


ナポリが鹿児島に似ているのだ(多分)。


ナポリは「西洋の鹿児島」と言え!







いかんいかん。

心がうつろでついついナショナリストになってしまった。







こんなことではいかんので、帰りの路面電車は天文館通りという電停(駅といわずにこういうらしい)で降りてみた。



ここは鹿児島の中心的な繁華街である。


アーケード街でもあるので強い日差しも避けられる。


銀行でお金を下ろしたりしながら店を眺めて歩く。


東京からみると小さな規模なのですぐにアーケードは終わってしまう。



食事をしようと思って、海が近いのできっとイタリアンなどおいしいに違いない。


冷たいワインでも飲みたい。



が、日曜の昼時でどの店もいっぱいである。


レストランの前には座って順番を待っている家族連れやらカップルやらが溢れている。




どの顔も幸せそうである。


こんな人々ととても並んでいられる自信などなかった。





人混みの中にこそ孤独はある。








心がうつろなのでついついネガティヴになってしまう。


いかんいかん。




喫茶店や甘味処では名物である「白熊(フルーツパフェのようなカキ氷)」をどこでも出している。


こんなのこんなの



だが、こんな楽しそうなものを一人で食べるわけにもいかない。






いかんいかん。

心がうつろだと何をする気も起きない。





そういえば、昔、サンフランシスコまで行って失恋して帰ってきたことがあったっけ。


あの時と同じカンジである。


心がうつろで、見知らぬ街で、途方にくれているようなカンジ。




・・・などと考えながら目的もなくひとりで歩いてゆく。







九州一大きな書店とうたっている書店があったので入る。


規模はそうでもないが、地方都市にしては大きいのかも。


専門書も置いてある。





こんなときに本屋へ行くのはかなり危険な行為である(笑)。



普通のときでさえ本屋へ行くと沢山買い込んでしまうので、心がうつろなときはどれだけ買ってしまうか分からない。



旅先で荷物を増やすのは得策ではないので極力自制し、結局7千円ほど買った。


専門書のコーナーへは行かないようにした。




一番の収穫はアンドリュー・ヴァクスの新刊『グッド・パンジイ』(ハヤカワ文庫)だ。


うつろな心はこれで満たそうと思った。





しかし、レジを終えて出口に向かうエスカレーターのある隣のコーナーをみるとブック・フェアをやっている様子。



通常のブックフェアは著者のサイン会などがあるものであるが、長い会議机をはさんで年配のスーツを着た男性たちと若い女性たちが会い向かいなにやら熱心に話し込んでいる。


男たちはみな大きな拡大鏡を持っている。



よくみると『占い本フェア』との垂れ幕が。




歩いてゆくと、キャッチされた。



聞いてみると、手相の鑑定には通常3000円かかるが、今回はフェアなので、ワゴンに入っている本のどれかひとつを買ってくれた方は無料で鑑定してくれる、ということであった。




オレは心がうつろだったので鑑定してもらおうかなどと考えフェア対象の書籍をみてみた。



みんなあやしげな本ばかりで出版社も知らないところだった。



近年よくある根拠の定かでない「〜〜占い」とか、あとは霊とか前世関係ばかりである。

そして驚くべきことに「手相鑑定」の本は一冊もなかった




で、断って外へ出た。





いかんいかん。

心がうつろなのであやうくむこうの世界に連れて行かれるところだったゼ。



心がうつろだと隙だらけである。



こういうのをイージー・ターゲットというのであろう。





でも、占いとかに頼りたくなる人の気持ちがちょっとだけわかった気がするのは傲慢か。







食料品やアルコールなどを買い込む。



心がうつろだと無性にタバコが吸いたくなる。



昨日からほんとにヤバイ。




心がうつろだと身体の抵抗力も落ちるのか、朝起きると喉がいがらっぽかった。



風邪をひく前兆のような感じだ。



ここで吸ってしまうと、また旅先で病院へ行く羽目にならないとも限らないので、薬局に行ってニコレットを買って帰った。


ダリヤの「リバティ」という整髪料はやはりなかった。







せっかくニコレットからキシリトールへ移行して、ニコレットを一日1〜2個にまで減らすことに成功していたが、もうニコレットしか噛まなくなってしまった。


ものすごいペースで消費しているので、持参したものが早くも尽きてしまった。


ニコチンの安定作用を心と身体が必要としているのである。





帰ってきてしばらくすると携帯にメールが来ていた。



ふられる可能性だったのが、可能性ではなくて確定した。
































しばらく考え、お別れのメールを返信した。


ここ一ヶ月の間に、携帯でメールをうつことに慣れてきた自分が哀しい。




心はうつろだったが、(きちんとピリオドをうってくれたことに対する)お礼の気持ちと相手を励ます文面をなんとか作った。





携帯に保存していた相手からのメールをすべて消去する。




深い喪失感。
























ワインを一本空け、今はインターバルでビールを飲んでいる。







明日から調査が始まり、学生たちも来るので、心がうつろだということは隠さなければいけない。





しばらくはアルコールとニコチンのお世話になりそうである。





鹿児島にいる間に学会発表用の原稿を作らなければならないのであるが、かなりピンチである。





が、そういうときこそ「えいくそ。やるだけやってやれ」というのが猪木イズムであるのでとりあえず明日から頑張ってみる。






自分のトシもかえりみず純愛をしてしまったオレであった。


が、これは性格というよりもアイデンティティや生き方なので、反省はせず、きっと今後もまた繰り返すことであろう。










今日のところはこの辺で。



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