1号入院ー義理の人々�� - 2002年12月29日(日) 銀座に行く前から夫実家で娘1号は喘息の小発作を起こしていた。法隆寺に来て以来、ほとんど発作はおきていないし1回おきた小発作もインタールの吸入で簡単におさまっていた。 だから甘く見ていた。 夕方銀座から夫実家へ移動した私たちは小発作を起こしている1号にインタールとベネトリンの吸入を行った。 薬が効かない。 家庭で出来る最終手段のベネトリンが効かないのはすでに事態が最悪に向かっていることを意味する。ベネトリンが効いていないこと午後6時に確認できたのですぐにインターネットで近くの救急病院をさがし、片っ端から電話をかけて小児喘息の専門医がいるか確認する。 稲田堤時代から頼りにしていた慈恵第3病院がすぐにつれて来いと言ってくれる。 義父がタクシーを呼び、夫が1号を連れて病院へ行く。娘1号は点滴後さらに発作を悪化させ、1泊入院することになった。 その晩、私はおKと夫実家に2人で泊まった。 1号が発作ー入院ということになっても夫実家は温度が変わらなかった。不在の2人を静かに心配しながら、おいしい夕ご飯を食べた。うちの実家だったら間違いなくみんな一緒にパニックにGO!だ。 私が「夫婦で銀座になんか行ってなければよかった」 というと姑が 「きっと出かけていても、付いていても、同じだったよ。自分を責めないで」 とすごく自然に言ってくれた。 この夜のことを長く覚えておこうと思う。 夫実家のこの危機への強さが夫の強靭さを作ったのだなと静かに納得した。 ...
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