ある日、父は私に「なにか欲しいものはないか?」と尋ねた。幼かった私は、無邪気に答えた。 「それならば、友人が欲しいです」 「友人?それならミゲルがいるだろう」 次男の側付きにするために自分がヴァレンシアから連れてこさせた少年の名をあげ、父は首を傾げた。いくら不在がちでも、この邸の主は父以外の誰でもない。その捨て子がとても賢く、また熱心であると家庭教師や武術の師範が喜んでいること、そして息子とその子が朝から晩まで一緒にいて、息子が母を恋しがって泣いてもその子がずっと側にいるものだから、大人に八つ当たりをして泣き喚くような真似はしなくなったことも当然耳に入っていたはずだ。 「だって…ミゲルが違うと言うのです」 「ミゲルがなんと言ったというのだ?」 顔を伏せ、寂しそうに呟いた幼い我が子を父は促した。私は思い出してまた少し辛くなりながら、父に言った。 「ミゲルが、自分は私の友人ではないと…そう言うのです」 父は一瞬驚いた顔をして、その次に酷く満足そうな顔をした。そして、軽々と小さな私を抱き上げ、笑っていった。 「なにを言う、チェーザレ。あれはお前の友人だ。一生お前の側にいる一番の友となるだろう」 「ではなぜ、ミゲルは違うと言うのですか」 「そうだな…きっと、照れているのだろう。あれも捨て子院からここに来て日が浅い。お前のような友人が出来たのが嬉しいのに、それを認めるのが恥ずかしいのだ」 父が目を合わせてくれること自体が嬉しくて仕方がなく、そのとき、私は父の言葉を丸ごと信じた。やはり、ミゲルは自分の友人なのだと思った。しかも、ただの友人ではない。ずっと一緒にいられる、親友なのだと。悲しい気分などどこかに飛んでいってしまった。
今ならば、ミゲルの言葉も、父の吐いた嘘もその意図も分かる。「自分の立場」について正確に把握し、自分を律することができるようになるのは、私よりもミゲルの方が早かったのだ。そして父は、自分が拾ってきた捨て子が想像以上に聡く、既に自分の役割を弁えていることを喜んだのだ。それそれは、息子にとって良い側近になるだろう、と。息子の剣にも盾にもなるであろうと。
長じた今も変わらず、私は友人を希求し続けている。 そいつは当然男で、私と同じ年だ。 少し掠れたような、しかしとても通りの良い声をしていて、歯切れの良い話し方をするだろう。そして素早く状況を理解し、打開することの出来る機転と、それを突破できる行動力を持っている。 私の友人はきっと笑い上戸で、時々自分自身の発言にまで息が出来なくなるほどに笑い出す。一発殴らないと笑いやまないことまである。私が冗談を言うと、他にも人間がいるときはそれを助長し、私たちふたりだけなら私をからかう。 私はその日にあったことを残らずその友人に話す。彼には知らせてはいけないことはない。彼は決して私を害さない。そして彼もきっと、私に話してくれるのだ。何もかも、彼の喜びも怒りも、私と共有しようと思ってくれる。
私は友人が欲しい。私の影ではなく、半身となるような友が。 私が思い描く理想の友人はいつもミゲルの姿をしている。 しかし、ミゲルは決して私の友人にはなりえない。 私は友人の為ならば、この命を擲っても良いと思いたい。 しかし私は、ミゲルのためにこの腕の一本すら与えることが出来ない。ミゲルは次の瞬間にでも、私のために死ぬ覚悟を持っているというのに。
私の願いはこれ以上ないほどに具体的であるにも関わらず、まるで陽炎のように近づくことは出来ない。 ミゲルが目を細め、私の名を呼ぶ。 私は時々、目の前にいるはずの彼を見失う。
私の願いが叶わないことを、私は知っている。
--------------- 惣領冬実『チェーザレ』/週刊モーニング ミゲルのユダヤ人設定に唸りました。これは物凄く物語そのものに影響を与えるよな…。 史実(通説かも知れんが)と照らし合わせたとき、チェーザレとルクレツィア、そしてミゲルがこれから10年以上分かち難い葛藤に巻き込まれていくのかと思うと、続きが楽しみで仕方がない。
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