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| 2004年04月08日(木) ■ |
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| 思うこと |
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あくまで人の数だけ思いがあり、人の数だけ意見があり、同じ人がいないように同じ気持ちもないって事。
例えば、多くの宗教で言われる、「隣人を愛せよ」 この隣人とは、同じ信仰を持つ人という制約がつくことが多いですが、 じゃあ、異宗教の人は? 信じるものは違っても、同じ人間だよね?
みんなが平和を願えば、世界は平和になる? みんな絶対仲良くなれる? みんな話し合えば理解し合える?
世の中ある程度、不可能はないですが、絶対不可侵の「不可能」領域はあります。 例えば運動神経がどれだけ悪くても、死ぬ気で練習すれば「大車輪」くらいは出来るようになるけど「月面宙返り」だの「モリスエ」だの、オリンピック選手にはなれないようなもんで。(妙な例えでしたね) 人間がみんな理解し合って仲良くできるかというのは、絶対不可侵の領域だと思われます。 何故なら人の数だけ思いがあり、意見があるから。 水と油が溶け合わないように、全く譲り得ない意見もある。
でもね、理解し得ない相手が現れたとして、じゃあどうするかというと、 「理解する」ことは出来なくても、「理解しようと試み」たり、「自分と異なるものの存在を認める」ことは可能なんじゃないかと思うのです。 同化することは出来ないけど、歩み寄ることは出来ると。 お互いどれだけ譲歩するか、って事でもある。 違う存在に出会ったら、違うものを見つけたら、 「ああ、こんなに私と違うものもあるのか…近づきたくないけど、これもアリだな」 と思うだけで衝突は回避できる。 「それは絶対違う!」と断言する自分の「絶対」が、どの程度狭い世界のものかを認める訳だ。 自分の世界はこんなに狭い。自分の「絶対」はこの程度。 「正義」ってのは、唯一無二のものじゃない。 「正義」ってのは、押しつけられるものじゃない。
…理想論なんだろうけど、「話し合えばみんな判ってくれるよ!」とか 根拠のない理屈を述べるよりは、まだ現実的かもしれないと思いつつ。 まあこういう意見も一つあるよって感じですけどね。
明日から授業開始ですよ。 今年は取りたい授業を好きなだけ取ろう!っと考えているので、はっきり忙しすぎて死んでるかも… まあそれもアリですな!うしし。
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