2000年12月14日(木)
 『Miserlou』 Dick Dale & His Deltones (映画)

『PULP FICTION』

映画ってサ、たいてーのひとが好きなモンだと思う。
どんな、はさておき。
全く自慢になりゃしないけど、アニメーションはともかく
実写の映画が好きではなかった。

活字中毒と言えるほど文学少女だったきららは友達に「速読?」
と言われる程のスピードでものすごい量の字を読んだ。
最近はすっかりおとろえちゃったけど、
「よくそんなことまで覚えてるね〜・・・」って言われるほど
細かいディティールを実によく把握していたし
それをソラで言うことができた。

だから言い訳ができた。偉そうな教育関係者かなんかの
「今の子供はテレビばかりで本を読まないから想像力が欠如してる」
なんて言葉に併合できて
そうだ、私には文字からイメージする力があるからいいんだ。
そう思ってた。
映像なんてつまらないとまで言った。
本のほうが偉いみたいな気持ちでいた。

実情は「判らなかった」だけなのだ。

例えば「黄色いカーテン揺れている」なんて物語の中で文字で読む。
私の中では前後の情報から勝手に様々なことをイメージする。
窓が開いているんだな〜とか黄色カーテンとその持ち主の
関係性とかを知らず知らずに思い浮かべて読み進む。

目で見る黄色いカーテンは、結構インパクトがあると思うのだけど
以前の私にはそういうのが全く残っていなくて
例えば作り手が以前出て来た部屋と同じ場所なんだよってことを
アピールしているような場合でもそれに気付けないのである。

文章では字面で誰が誰か判別できているものが
映像では登場人物が最初はストレートのロングで、その後髪を結って
でてきたら同一人物だと気付かずに見続けていたりする。

話が判るはずないのである(汗)

その頃チケット売りの仕事についていて、一緒に働いている仲間の
影響で映画をたくさん観るようになった。仕事柄試写状ももらえた。
カウンターでは日々「ぴあ」なんぞ眺めながら
様々な興行の話をする。芝居も観るようになったし
逆に仲間たちはサッカーを観にきたりするようになる。

映画っていうのは一回映画館に行くとたくさん「予告編」を
みせられて予告というのは実におもしろそうに作ってあるから
連鎖反応が起きて、どこかで「映像なんて」と思いながらも
何度も足を運ぶようになるのだ。

それでもやっぱり、私は映像に弱かった。
長い前置きですみません(汗)
つまり最初に観たときには私、全然判らなかったんですぅ(苦笑)

私にとってこの映画は冒頭にレストランでおばかカップルの
パンプキンとハニバニ(大好き〜)が立ち上がって叫んで
最初のテロップとタイトルが出るところで完結していたと
言ってもあながち間違いではなくって
今でもあのシーンのおばかっぷりが一番好きだし

後は、ロック姉ちゃんだった私の感覚だけなのだ。
いかんせんお話はチンプンカンプンだったのだから
ハッキリ言ってMTV(現VIBE)観てるようなもんだった。
例えば余りにも有名なダンスシーン、
手のひらで吹く投げキッス、

かっこいい〜〜〜!!!

一緒に行った、レザボアですっかりタランティーノに惚れ込んだ友達は
きらりんはそういう感覚的なひとなんだからそれでいいんじゃないかと
言ってくれたけれど、世間の評価が余りにも高くてびっくりだった。
「あれって、ものすごーくカッコよかったけれど
そんなに評価される映画だったんだろうか?内容・・・あったのか?
私には何がいいたいのかさっぱりわかんなかったぞ」

そんなきららもたくさん映画をみるうちに完全に打ちのめされる
作品にも出会ったし、今の私は”映像で表現するからこそおもしろい”
って世界があることも、よく知っている。

だからね、ずっとまた観ようと思ってたのよ。

そんな訳でチネグランデでのクリスマスの特別上映、
1000円の前売り券を整理券と引き換えると、クラブチッタ跡地には
クリスマスの飾りつけとウェルカムドリンクやチキンが用意されている。
わお、なんかいい感じー☆

あの頃の私、映画やお芝居を観るときにもいつも何か考えていた。
作り手が何を言いたいのか。

こういうの観るとね、「それについて書く」なんて
ほんっとくだらなくて意味がないことに気付きます。
一級の娯楽品。相変わらずカッコよくって、
サイコーーーにおもしろかった。
『パルプ・フィクション』なんてこれ以上なく内容を表してるよな〜

あの頃の私も、何も考えずにただただ楽しめばよかったのに。
カッコいいからいいや、まで行き着いてたんだから。

あーーー楽しかった♪

ここまでひっぱっておいて結末がこれかい(笑)



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