趨向夢

2005年12月21日(水) 本厄の


前触れか。一昨日の夜から吐き気と悪寒とゲ○ピーに
悩まされる。帰宅後すぐに布団に入ったが体が冷えて
布団がいつまでもつめたーいまま。エアコンを入れようが
こたつに入ろうが体は冷えたまま。

「なんだこれ?。食中毒か?」
と思うような苦しさ。マジで救急車を呼ぼうと思った位。
火曜日は仕事が3時に終わる予定だったから、休みのお姉ちゃんと
落ち合って晩御飯を食べに行こうと思ってたのに・・・。
『明日ダメかも。吐き気寒気ピーのトリプルパンチ』とメール送信。
それを見て、9時半ころ仕事の終わったお姉ちゃんが我が家へ来てくれる。
こんな時『あー、近くに住んでよかったなー』とつくづく思った。

来てくれて何も食べてない私に鍋焼きうどんを作ってくれて、
その間に体の冷え切った私にお湯をためて湯船につかれと命令。
それに従ってお湯をため、湯船につかる。
冷え切ってた体が芯から温まるにつれて胃の痛みが取れてきた。

ただ、出てきてもうどんはほとんど食べれず。
数本食べただけで、無理だった。31年生きてきて、こんなに食欲が
無いのは本当に初めて。インフルの時でさえもう少し食欲があった。

翌日、仕事が納品に追われてるのは分かってるからどうしても
休めなかった。バイザーさんも
「明日は休まないでねー」
と叫んでたし。とりあえず向かう。朝一でバイザーさんに
体調不良を伝え
「来たからには3時までいるつもりで来たけれど、もしメドが
付くなら昼で帰して欲しい。いても使い物にならないと思うし」
と言っておく。案の定10時半までの休憩の間に3回トイレに。
体が冷えてしまって胃痛もまた出てきた。更に体の間接まで
痛くなってきた。
10時半の休憩の2分前位に手持ちの仕事が終わったら
私のあまりの不調ぶりを見るに見かねたバイザーさんが
「もう帰って良いよ。見ててかわいそうになってきた。
ごめんね、昨日『休むな』なんて言って」
って。ううん、悪いのは私なのよ。体調管理も仕事のうちなんだもの。

やっぱりしんどいからお言葉に甘えて、1時間半の勤務で帰路に着く。
うむ、情けない。

姉宅に行く事になり、行ってから姉の紹介で即病院へ。
風邪だろと会社では満場一致の意見をいただいてきたが、
姉は前の晩から『きっと腸炎だと思うから』と。
病院の診察では『細菌性の腸炎だろう』との診断。
おおー、わが姉さすがだわ(笑)。

薬をもらって飲んで。吐き気と寒気はとっくになくなってるのに
ピーだけはどうしても泊まらない。食べてないのに出るって
すごいよね。水分を意識していつもより取ってるのに追いつかず、
手の指先がかさかさしてきてる始末。
今日はたまたま休みの予定だったから良いけれど、明日も申し訳ないけれど
休ませてもらおう。本社だし、私がいなくても痛くも痒くもないだろうし。
ただ、来月の生活費がキツくなるなー。

陸も、明日も休んだほうが良いというから生活費がキツくなると言うと
『十一』で援助してくれると。お前は闇金か。
利子は冗談にしても少し助けてくれるって言うし、これまたお言葉に
甘えて明日も休む方向で。

それにしても、研修に行ってた陸と久しぶりに今日まともに
会話をしたんだけど、渡部&村上夫妻の離婚に対して
「渡部はすごい我慢してたんだろうなー。やっと離婚できて良かったな」
と変にリアルに同情してて。
「なに自分に重ね合わせてるわけ?」
なんて突っ込んだらゲラゲラ笑ってた。病人をいじめるんじゃないよ。

と言う事で明日は休む。
23日の夜から25日まで『実家に帰る』という陸に
京○限定のお土産を買って来ない限り実家に帰ったとは信用しないと
言い渡すと
「まだそんな事言ってるの?」
と間抜けな答え。私はしつこいからいつまででも言うわよ(笑)。

とりあえず寝よう。
この急な腸炎は来年の本厄の前触れだろうか・・・。
ちゃんと厄払いに行こうと決心した私である。


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ゆう