■TRASH■

2001年08月15日(水) 平和と法律と存在

この日は、戦争について色々書こうとして、ちょっと前からモバギで記けてたんだけど、やっぱり書ききれませんでした。
心のもやもやが、言葉にしきれなかったです。

戦争。加害者である日本人の原罪。

扱いきれるわけないや。
勉強もなにもしてないしなぁ。

でも、心のそこにあるもやもやとした、”そうじゃないんだ”という感情。
ただ、何かが間違っているのに、そのほつれた糸を上手く解けない。
「平和じゃない世界なんて簡単に作れる」って認識が、どうしてこんなに深刻に受け止められないんだろうという、どこか漠然と不安。

世の中の半数の人でも、法律や刑罰に縛られなくなったらどうなるんだろう。

他人のものを盗んでも、罰せられない。
人の命を奪っても、咎められない。

いつだって、必要なだけじゃ足りない人間が、人を縛る法律から抜け出した時。

人の財産を求めて、家の中に入ってくる見知らぬ人。
震える足に鞭うって、屋根づたいに塀を降りて外へ出ます。
警察も頼りにはなりません。
世界中、行くところなんてないんです。
より弱いものを見つけて、それを襲うか、逃げまわって、震えるしかないんです。

ばかだとは思うんですが、良く夜中にそんな妄想をして、どうやって逃げるかばっかり考えてることもあります。

火山や、地震。天変地異。
東京だけなら、他の都市や国が助けてくれるかもしれません。
(東京を失った日本に、援助する価値を見い出す国がどれだけあるかわかりませんが)
でも、世界同時だったら。



中学生の頃、読んでいた漫画。
三原順さんの”はみだしっこシリーズ”の中に、グレアムという少年が出てくるのですが、彼は後半、法律にやけにこだわっていました。

当時のわたしは、それがなぜなのかわかりませんでした。
彼は、思慮深くてとても優しく、いくら父親の狂気の影に脅えていたとしても、彼がそうなるなんて思いも出来なかったんですよね。

法律があるから、人は正気を保っていけるのかもしれません。
善悪を判断する線引きがあるから、”そうしないようにしよう”という判断が出来るだけなのかもしれません。

本当のところは、追い詰められないとわかりはしないんだとは思うけれど。
わからないからこそ、自分の狂気を隠し、その狂気を隠すために優しくする罪悪感に、ずっと苛まれつづけていたんでしょう。

法律があるからこそ、人は正しくいられるということが証明出来れば、彼が狂気を内に飼っていることも、そのことに対して追い目を感じなくていいと思ったのかもしれないのかな、と。

でも、本当はそうじゃなくて。
人の性善説を信じたくって、そうではない自分を罰してほしかったのでしょう。

多分、わたしも、そうです。
いつか罰っせられるのを夢見つつ、自分の存在していい理由を求めつづけていくんでしょう。
そして、環境が変わった時に。
自分が自分でいられるかどうかに、己の自身を疑いながら。


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