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2001年09月24日(月) |
シアトルと宗教の悲しみ |
今回のニューヨークのテロは、ハンチントンの言うように宗教的に対立を起こしていて、イスラム対キリスト教だと言ったりしているけれど、今のアメリカ人がヨーロッパからやってきたときからすでにそれは始まっていた。月曜評論という冊子の中で西村眞悟さんが面白い事を書いていたので、一部抜き書きします。
インディアン(レッドマン)は、白人(ホワイトマン)に対して敢然と戦った。白人は自分達の「文明」が地上にあまねく行き渡ることを「正義」と考えインディアンを追い出すことを当然と考えたからである。 例えばアパッチのジェロニモは、わずか三十五名の兵士で、婦女子を連れながら、正規兵五千名と外人部隊五百名からなるアメリカ軍を相手に、一年六ヶ月戦い抜いた。ジェロニモは死者六名を出し、アメリカ軍の死者は二百名に達した。しかし、インディアンは、優秀な武器を持つ多数のホワイトマンによってついに居留地に封じ込められることになる。その時、一酋長は、移住を命ずる白人総督に次の抗議文を送った。
「あなた方の神ゴツドは、自分の民は愛しても異民族は嫌う。白い肌の我が子を優しくかばい、赤い肌の者のことはいっこうにかまわない。我々の崇める大霊はそんなえこひいきはなさらない。…あなた方の宗教は活字によって書き記される。それとは違い、我々の宗教は祖先からの伝統なのだ。厳粛なる儀式のもとに、大霊より授かったものだ。 それが偉大なる先祖のビジョンとなって、我々の胸に刻み込まれている。あなた方の先祖は、墓の入り口を通り抜けると、それきりあなた方のことを忘れる。あなた方も彼等のことを忘れる。が、我々の先祖は地上のことは決して忘れない。麗しき谷、のどかなせせらぎ、壮大なる山々、木々にかこまれた湖、彼等はしばしばその美しさが忘れられずに舞い戻ってきては、我々のもとを訪ね、導きを与え、慰めてくれる。 …私は、死という文字は一度も用いていない。死は存在しないからだ。ただ生活の場が変わるだけなのだ。」 これを送った酋長の名は、ワシントン州の都市、シアトルとして残っている
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人はお互いに十字を切りながら戦争し、殺し合う、今も昔も少しも変わらない。
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