+女 MEIKI 息+
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2001年09月01日(土) |
いちゃいちゃカップル |
昨晩、友人の女性3人でお酒を飲んだ。(あたしは酒ではなかったが)12時近くに店を出て、深夜の街中を駅に向かって歩いていた時のことである。閉店したデパートの入り口で、学生風のカップルが抱き合っていた。 見つめあって微笑みあってキスを交し、人目も気にせずいちゃいちゃしている。その時、連れが「うわぁ」と小声で見つけた。あたしたちの後ろを通り過ぎるいちゃついているカップルと同年代ぐらいの女の子二人連れも「なにあれ」と憎々しげに少し大きな声で言っていた。「ああいうの本当にやあね」「ねー、むかつく」「ホテルに行けばいいじゃん」と、こうである。 あたしは、それに驚いて思わず連れに聞いてしまった。「うらやましくない?」そしたら「えー?羨ましいなんて信じらんない」と、罵倒されてしまった。これが中年以上のおっさんおばさんが言うならいざ知らず。(中年以上の年齢の方は、そういうことはフシダラだという観念から拒否する気持ちが出てくるのだろうと勝手に思っているのだが)あたしと同じ年代の未婚女性が言うのだからやはり驚いてしまった。 それって僻みなの?それとも本当に不快なの?
見たくもないラブシーンを見せ付けられるのに不快を覚えるのならまだわかる。けれど、あたし達がいちゃいちゃカップルを見たのは、深夜の繁華街を外れたところだ。往来の真中でやっているわけでないので通行人の邪魔にもなってないし、誰にも迷惑はかけていないはずだ。 不幸な時に、ハッピー野郎を見ると、確かにちょっとむかっとするかもしれないけど、彼等は永遠にいちゃいちゃし続けるわけではないのだ。 恋には終りがある。これはもう地球は丸いとか、大晦日があけると正月が来るとか、そのぐらいの確かな事実である。恋にはどういう形であれ、終りが来るのだ。 そう思うと、街角や電車の中でいちゃいちゃしているオメデタイ恋人達にも、暖かい目が向けられるのではないだろうか。 恋の初期というのは、本当に本人達には素晴らしいものだ。世の中のもの、なにもかもを肯定する気になれる。元気も出るし、出来そうもないことまで出来るような気がする。好きな人が同じように自分を好いていてくれるという事実に、奇跡を感じる。感謝を感じる。 でも、それは遠くない未来に終るのだ。恋が終っても、それがいろんな形の愛情に発展していくケースはもちろんある。けれど、見栄も恥じも捨てていちゃいちゃ出来るのは本当に短い期間だけなのだ。 むかつく、と毒づき追い越していく若い女の子の硬い表情を、あたしはただ眺めた。あなたにもいつか、まわりが見えなくなるほどの恋が訪れるといいねと。
あたしは手を繋いで歩くカップルを見ると、すごく優しい気持ちになる。明日のことは分からないけど、とりあえず今この瞬間だけは二人の気持ちが触れ合っているのだと思うと、大袈裟だけど奇跡みたいなものすら感じる。いつまでも仲良くしてね、とあたしは見ず知らずのカップルに思ったりもするのです。
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