貞子。(早矢花)のきまぐれ日誌

2009年12月15日(火) 寒波ですって、奥さま!!

寒いですね。
体調崩して、今日は会社休みにしました。
無理はしないにかぎる。


さて、今年も残すところ後2週間足らずなわけなんですが、
年を重ねるごとに年末年始の雰囲気が薄れていく気がしてる。
まぁ、…毎年年末年始はバタバタしてるから仕方がないのかも。
というより、世相も変わってるし。
昔のように特別は特別なんだけど内容が変わってるんだろうなー。


先週の土曜日は、「暗くなるまで待って」のプレ公演を見に行きました。
買ったばかりのメタモルの第2レーベル、Clown labelの
sweetS timeシリーズのフリルJSKを着て。
んで、その上からジャケット羽織って、
フェルトカンカン帽をかぶりました。
ちょっと80年代チック。えへへ。


しかし、予想外の暑さにぐったりした。
ちょっと早めに行ったので、
しばらく姪っ子のクリスマスプレゼントを見ていたのですが、
もー暑くて暑くて。
汗がにじみ出る始末。
待って、化粧が崩れるーーー(泣)


お芝居はマジで面白かった。
葛山さんが出ているのをひいき目で差し引いても、
面白い舞台でした。
散々番宣や広告フライヤーで目にしてるけど、
「脚本が、原作が面白い」っていうの。
まさにその通りなんだと思う。
きっと原作者は、10年後も50年後も100年たっても普遍的に面白いものを
作ろうという意気込みが感じられる作品です。
だからその通り、素人の私が見ても、
キャストが欧米から日本人になっても「面白い」


見てがっかりしたという芝居は、
たいてい「大胆な解釈」とか「独自のアレンジ」という言葉が入っている場合が多いです。
そういうのって脚本家さんが独断解釈でやっているんですかね?
それとも演出家さんなんでしょうか。
よくわかりませんが、新しいものを取り入れて融合させて昇華させていくのは時代の流れとしては当然の行為だと思いますが、
それが「個人の自己満足」の範疇にある内は、やはり受け入れられないと思います。
外野が見て受け入れられない、ということは、
時代に拒絶されているか、もしくは自己満足、
マスターベーションと同じなのではないでしょうか。
でもここで、時流や他の要因に責任を押し付けている限りは、
永久に賛美や理解は得られないのはわかりきったことかと。


なんて、生意気なことを書きましたが、
大衆に迎合するっていうことも大事だと思いますよ?
いつだって時代を構成するのは一部の限られた人種ではなく、
名もない大衆なんですから。


 < 過去  INDEX  未来 >


くろえさだこ [HOMEPAGE] 壁紙拝借