2003年02月28日(金) |
「歩くのはいたたまれないから歩くので、このぼんやりした前途を抜出す為に歩くのではない」 |
拝啓 王子様
朝と夜は真冬のような寒さなのに、 昼間の光は春の扉がぎいと開きかけたことを告げています。 私は花粉症のくしゃみをとめるために必死で、 なにやら怪し気な薬を三つも四つも飲み込みこむ毎日です。
お元気ですか。
あなたがすぐ不機嫌になるのなんか知れたことよ。 私の中に自分の負の部分を見るものだから、 居ても立ってもいられなくなるんでしょう。
だけど悪いところを捨てた捨てたと捲し立てたところで、 人はなかなか変われないものだと思いませんか。
なんて。 こんな風に強気なことを書いてみましたが、 じつはあなたからのお手紙を受け取ってから、 しばらく、ある文豪のように腹をかっ切ろうかと思案した程です。 正確には思案してはいないけれども、 「思案した人くらい傷付いた」振りをした程です。
前回、おかしなことを書いていたなら謝ります。 ごめんなさい。 あなたとのやり取りが私にとってどれだけ大切かを知ってください。
私は一ヶ月程続けた田舎暮しを引き払って東京に戻ってきました。
21歳の、普通の女の子である自分の抜け殻をべろっと脱いで 形も定まらないドロドロアメーバのごとき自分の中身だけを逃亡させ、 本屋の一部になったまま息を殺して生きることもできたのに、 そういった生活を捨ておいて戻ってきました。
理由は一つです。 「自分の中身」などという確固たるもの、 体から切り離せるものがないことに気付いたからです。 そして気付いた途端、とても楽になって、何処にいたっていいと思えたのです。
店番仲間の男の子に 私がもうここを出るのだと告げると、 彼もそれが自然の成りゆきであるかのように一緒についてきました。 (あるいは彼も、ちょうどここをでるのだと告げるタイミングだったのかも知れません。)
そして自然の成りゆきのように、 私たちは東京でも毎日一緒に夕御飯を食べます。
それによって関係が深まっているとは言えません。 口論になるということもありません。 ただただ、それは通過儀礼のように 毎日行われて、私たちは主に書物についての話をして それぞれの家に帰ってゆきます。
それは私にとって幸せなことだと思います。
一人の帰り道も結構好きです。 東京では夜空を見上げてもオリオン座は見えず、 代わりにラーメン屋さんを数える楽しみを見つけました。
秋に金色だった銀杏並木は、街灯に照らされて幹の部分が青白く浮かび上がり、 美しく通りを飾っています。
夏目漱石の「坑夫」を読みはじめました。 「海辺のカフカ」に出てきたからです。
手紙というのは何かを伝えると言う目的があるはずなのにね。 これでははがき一枚の転位届けと変わらない、 ただの言葉遊びです。 それにしてもなんだって、言葉は意味を持たなきゃいけないのかしら。
ともかく、私は引っ越したのです。 たった一人で、東京に。
かしこ
れいこ
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