2003年06月23日(月) |
持ち駒の件は置いておきます、ひとまず |
タモリになりたい。
先日、ぼけっとミュージックステーションを見ていたら、竹内めぐみという元路上詩人、現歌手が出演していてた。「どうして詩を書きはじめたのですか?」と尋ねられた彼女、「生きるのが嫌んなっちゃったんです」というゴールデンでそれはありなのか、むしろゴールデンだからありなのかという訳の分からないもやもやした、つまり壊れかけの徳永英明系発言をする。(でもこの人、嫌いではないです。おにつかさんのときのような、近親憎悪はわいてきませんでした)
「ほおー(感心の情)」とタモリ。「生きるのが嫌んなっちゃうっていうのは、どうーういう感じなの?何が嫌なんだろうねえ、うーん。俺ね、ちょっと、全然わかんないんだよねえ」。あーいいんだ、そういうこと普通に聞いて。と見ているこちらが安心する返しは、もう達人ものでしたよ。そうだよ、誰だって聞きたいよね、どうして生きるのが嫌んなっちゃって、それって何がそんなに嫌で、ついには路上で詩を書き出しちゃうのかをさ。
さらに凄みを感じたのはキンキキッズとのトーク。「光一は、自分の部屋でずっと全裸なんだって?」「そうっすねー気持ちいいすよ」「俺も全裸なんだよ、いいよなあ」
・・・いつもの通りのトークに油断していたら、タモさん、言いましたよ。 「もうあれじゃん、全裸キッズにしちゃえば?名前」。!!「それかちんち○キッズにしちゃいなよ」。ちょっとうまいし!!!!タモリクラブのフィールドを、8時台にまで広げてきた感あり。恐るべし。
「ということよ。全裸でネギを刻むタモリになりたいんですよ、あたしゃ。分かるかい、ねえちょいと、分かってくれるかいああた」。なんてな話をタイ料理店で少年とした昨日。ぶりぶりと。ビールで酔っぱらい帰りの電車は爆裂睡眠狂。
そして本日の筆記はなかったことにする。だってバレエの問題が出ちゃったら、仕方ないよねママ。振れ幅の狭さを思い知らされる。浅く広く、さらに深く広く、がモットーのつもりだったのに。
バレエ、少女コミック、ジャズ、思想、歌舞伎、ボサノヴァ、ブラックカルチャー、パチンコ、競馬、嶽本野ばら、株、ビートルズ、ドラッグとセックスとロックンロールとは違う私らしい快楽、人生の興味をもっと広げたい。そういう作業は結構好きだ。踊るより好きだ。だから、受からせてくれよ。
追記メモ
筆記の帰りに新宿の青山ブックセンターに寄ったら、やたらゴスロリの皆さんが集結している。おかしいなあ、ここはマルイワンじゃないのに、と思っていたら嶽本野ばら様のサイン会だった。顔が小さいねえ。紳士だねえ。精神的ゴス仲間の私も(いや、違うわ!)参加したくなる。今度こそ読もう、三島賞候補の『エミリー』を。
それにしてもエミリーテンプルキュートのお洋服を身にまとった彼女たちを見ていると、昔の自分を思い出して片腹痛い。私は「ロリ」ではなかったが、まあ洋服マニアの自意識の方向性なんて、皆同じようなものだ。「私を見て!」という精神病理(なんて大袈裟かしら)が、曲がった形で表に出てしまった女の子は、パニエやティアラで自分を飾る。服はアイデンティティであり、雑誌に載ることがさらにそれを強固にする。少なくとも私は、そうだった。
嶽本野ばらがなんとか文学賞をとったら、彼女たちは報われるのだろうか。それとも野ばら様がいなくなっちゃう!と泣くのだろうか。少女たちの世界を偉そうに分析し、俯瞰する高さからしか眺められなくなった私には、今では答えが出せるはずもない。
ちなみに新潮社の三島由紀夫賞の選評がアップされていました。(→go!)全作品やたらめったら駄目だしされまくってますが、島田雅彦のいちゃもんのつけかたなんて、もう最高だから面白いよ。
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