今度は母方の祖母が亡くなった。大宮で通夜。おばあちゃんは曲がったことが大嫌いで、勝負には勝たないと気が済まない、とても気の強い人だった。死に顔も、「穏やか」、「安らか」というよりはとても気丈で、凛としていた。遺影も、全く笑っていない。ああ、この人はきっと、これからもちゃんと、歩いていけるんだろう。三途の川を渡っておじいちゃんに会えるだろうと思わせる顔だった。私も自分が死ぬ時には、哀れみの涙を誘うのではなく、「ああ、大丈夫だね、この人は」と思わせるような顔をしていたいと思った。
祖母は足腰が弱ってから、施設に入っていた。3週間前に脳出血で入院。「数日中にお葬式だと思う」と母から電話がかかってきてから、粘りに粘って結局3週間眠り(生き)続けた。
「バナナちゃんが仕事が忙しいから、おばあちゃんがお通夜を日曜日にしてくれたのかもしれないね」。母が涙ぐみながら言う。私もそんな気がする。おばあちゃんは、孫に借りなんて作りたくなかったんだろう。
いとこたちにも久しぶりに会った。親戚一同集まって、どうということはない会話が繰り広げられる会場にいるのが、私はとても好きだ。通夜ぶるまいの間は、隣に座ったいとこのお嫁さんと話した。新婚生活はどうですかと尋ねると「まるさん(いとこ)はね、絶対に台所に立たないから、大変」「ハウスウエディングはお金がかかるよ」と色々教えてくれた。
一人人が死ぬ。一方で、新しい家族が増える。みんな別々に、それぞれの責任で生きているけれど、振り返るとこんなにたくさんの、血の通った人々がいる。
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