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2006年04月25日(火) 家族

先週の土日は、彼を連れて埼玉の実家に帰った。父も母も喜んでくれて、夜は皆で天ぷらとケーキを食べた。ちょうど両親の結婚記念日だったので、上野駅の花屋でバラの花束と和菓子を買って渡した。

食卓の席で、母は早速私の結婚式の話をしていた。予想はしていたが、心の中で少し笑った。「お母さんはレストランウエディングとかよりはね、式場とかホテルでお年寄りの口に合うお料理を出すのがいいと思うの。あとね、バナちゃんは30歳頃結婚するなんてのんきなこと言ってるけど、それじゃあお父さん70歳近くなっちゃうでしょ。早くしなさい」だそうだ。

自分がどういう家庭を作りたいか、子どもをどんな風に育てたいか、どんな家に住みたいか。そういう将来のことを考える時、私は自分の育った家庭をひとつの理想として思い浮かべる。母は心配性だし、父は何も話さないし、私はわがままだし、決して「最高!」なんて人に自慢できる家ではないのだが。

父も母も、一人娘の私がすることに何ひとつ文句を言ったことがなかった。いつも、私がしたいようにして出した結果に対して、黙ってお金を出してくれた。

高校生になり急に勉強しなくなって成績が落ちても、大学時代の就職活動で大企業にのきなみ落ち続けても、家庭内で変わったことは何もなかった。

母が実家近所のスーパーなどで私の同級生のお母さんに会うと、私の「その後」を聞かれることがあるという。私は中学時代に優等生だったから、相手が世間話代わりに話題にするのだ。「バナナちゃんはほんと優秀な子だったわよねえ。さぞかし有名な大学を出て有名な会社に入ったんでしょう、なんて言うからね、『行ってる人しか知らない会社にいますよ』って答えるのよ」と彼女は笑って話す。

「格差」という言葉をニュースで聞く度に、私は複雑な気持ちになって、よく分からなくて、考え込んでしまう。社会派ぶってあーだこーだ言う気はないけれど、子どもを下流にしないために中高一貫校へ入れようと必死になる前に、ただその子を愛するというとても単純なことをするべきなんじゃないかとぼんやり思うのだ。それは学歴も肩書きもたいして自分を救ってくれないことに気付いた大人になってから、じわじわと効いてくる。


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