the theory of delusion
2003年01月15日(水)
blue... (SS「オレンジ」の続編)

 見上げた空が、想像していたよりも澄んでいなくて……
 僕は少し悲しい現実に、再び顔を俯かせた。


 今日、十度目の溜息をつく。
 見上げた空の灰色が、落ち込んだ心により重たくのしかかって、僕は動けないでいた。
 就職して、もうすぐ一年が過ぎようとしている。
 みんなは何をしてるんだろうか……
 高校生だった頃の懐かしい思い出ばかりに浸りながら、僕は会社ビルの傍のベンチに腰を下ろした。
「…………ハァ」
 十一回目だ。
 
 僕は何をする気も起こらず、ただ雑踏の足元だけをぼんやりと眺めていた。
 色んな種類の靴が僕の前を過ぎていく。
 疲れた足取りの革靴や、弾むように軽快なスニーカー、カツカツと忙しないハイヒール、と色々だ。
 そんな不思議な世界をぼんやりと眺めていると、少しはどんよりとした現実のことも忘れられた。
「…………?」
 僕の目の前に一人の”誰か”が立ち止まった。
 僕が見ているのはつま先をこちらに向けた足だけだったから、誰なのかはわからなかったけど。
「君は……もしかして?」
 少し伺うような声が、僕の頭上から降ってくる。
 頭のどこかで確かに憶えている、澄んだ風のような声だった。
「…………チヒロ?」
 片隅の名前を拾い上げて、僕はその名前を呼んだ。
 顔をあげるとそこには、少し大人になった彼の顔があった。
 その顔がゆっくりと笑みを作る。
「やっぱり君か。ひさしぶりだね」
 なおも目を細めて微笑みながら、チヒロは横に座っても良いかと聞いた。
 僕は慌てて、体を右側へと動かす。

「ホントに……ひさしぶり」
 そういって、僕は改めてチヒロの顔を見た。
 あの頃と同じ、彼の薄茶色の髪が風に遊んでいる。
 僕にとっては彼も風のような存在だったから、それはとても似合う不思議な景色だった。
 じっと、見つめていたからか、チヒロが不思議そうに僕を見つめる。
 僕は慌てて、目線を雑踏へと戻した。
「それにしても、こんなところで会うなんて……びっくりした」
 僕がそういうと、チヒロが少し笑う。
 どうしてなのか、少し恥ずかしくなった。
「……けれど、きっとこれは必然だね」
「?」
 チヒロのそよ風のような不思議な言葉は、今も健在のようだった。
 僕とは違う高校へ進んだ彼とは四年ぶりの再会のはずなのに、その言葉は何も変わらない。
 僕が首を傾げてチヒロのほうを見ると、彼がまたクスッと微笑んだ。
「今、君の頭の中は、僕の言葉を理解しようと必死なんだろうね」
「……だって、これは偶然でしょ? たまたま会ったんだから」
 そういうと、チヒロは少し笑って空を見上げる。
 そこには少し重たい灰色の世界しかないというのに。
「たまたま会ったけれど、僕には必然なんだよ。そう、君に会いたかったんだ……どうして気づかなかったんだろう」
 最後は独り言のようだった。
 空に向かって、謳うようにそう言った。
 僕はどうしてチヒロがそう思うのかはわからなかったが、僕は黙ってその場は過ごすことにした。
「……それにしても、こんなところで何をしていたの?」
 チヒロが問う。
 僕はどう答えたらよいのかわからなくて、俯いた。


 僕がここにいた理由。
 それは……どこかに逃げたかったからだ。
 時間ばかりに追われて、自分を失ってしまいそうな恐怖から逃げたかった。
 でも、そんなことをいったらチヒロはどう思うのだろう。
 そう考えると、何も言えなかった。
 ひさしぶりに会ったチヒロに嫌われてしまう可能性のある言葉は……いいたくなかった。


 暫しの沈黙を割ったのは、チヒロだった。
「…………君は君の時間を過ごしてきたのは知ってるよ。そこに、もう僕に踏み入る場所はない?」
 ゆっくりと、まるで子どもに言い聞かせるようにチヒロが聞いた。
 僕は俯いていた顔をあげる。
「……そんなことは、ないと思う」
 そう答えた。
 ぎこちない答えを、チヒロは変に思っていないだろうか。
 不安になってチヒロの顔を見ると、チヒロは何もかもわかっているような優しい笑みを浮かべていた。
「それならいいんだ。無理に話してもらおうとは思わない」
 そういうとチヒロは立ち上がって、うん、と背伸びした。
 淡色の髪を風に遊ばせながら、ゆっくりと僕のほうを振り返る。
「ちょっと歩かない?」
 そういって手を差し出す。
 僕は儚く消えてしまいそうなほどに色素の薄いチヒロの手に自分の手を重ねると、ベンチからようやく腰をあげた。


「君は相変らずだね」
 しばらく歩いて、池のほとりまでやってくると、チヒロが笑いながらそう言った。
「すぐに言葉を飲み込んでしまうところなんて、全然変わってない」
「あ……それは…………」
「ほらね」
 僕がどもるとチヒロは首を小さく傾げてクスッ、と笑った。
「でも、僕は君が変わっていなくて安心したんだよ。怒るかい?」
 そういいながら、チヒロは足元の石ころを水面に向かって蹴った。
 円を描きながら揺れる水面を静かに眺め終わると、ゆっくりと僕のほうを振り返る。
「何もかもが変わっていく世界で、記憶と重なる君を見つけてとても安心した」
 そういって静かに笑う。
「僕も……そう思う」
 それだけ答えると、チヒロがその答えに満足したのか首を傾けて笑った。
「でも、全てが変わってないというわけではないけどね。僕も君も確かに変わった。この空の色が絶え間なく変わり続けるようにね。人が変わらなくなるということは、死んだのと同じだよ」
 そういって、チヒロはまた空を見た。
 しっかりとした真っ直ぐな瞳で。
 僕もつられて、空を見た。

「…………青い」

 空は青かった。
 さっきまでの灰色は、そこにはなかった。
 快いほどの青空が、いつの間にか僕の上に広がっていた。

「……新しい世界で自分が変わっていってしまうのは、今までの自分を失ってしまいそうで怖いかもしれない。だけど、変わることを恐れる必要なんてどこにもないんだよ。君ならきっと……この青空みたいになれるはずだから」
 いつの間にかチヒロは僕のほうを見つめていた。
 見つめたまま、諭すようにそういった。
 そして、笑う。
 あの日、オレンジに染まった空の下で見た笑顔とは違う……だけど、それよりも美しい笑顔。

 変わることを、恐れることはない。

 言葉を反芻すると、少し胸が痛くなった。
 目頭が熱くなって……何故だろう。
 泣きたくなった。

「泣きたいなら、胸を貸そうか?」
 チヒロはそういうと、悪戯に微笑んだ。
 僕は何も答えずに、ただ小さく笑った。
 目から一滴の雫が零れ落ちたけど、気にはならなかった。

 その涙は上に広がる空を同じ青色だったから。



 僕もいつか、この美しい青空のような人間になれるのだろうか。



 空を見上げてそう思う。
 そして再び、チヒロのほうを見た。
 チヒロも僕を見ていた。

「やっぱり、心が読めるんだろう?」
「そんなことないよ」
「でも、僕が悩んでいることを言い当てたじゃないか……」
「偶然だよ。必然が呼んだ偶然だ」
「?」

 僕が首を傾げるとチヒロは嬉しそうに笑う。
 そして、僕にもどうして君の気持ちがわかるのか何てわからないよ、とそよ風を吹かせた。


END

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ずっと放置してた「ブルー」という名の小説。
「オレンジ」っていう、DIGITALISに展示してる小説と同じキャラなんだけど……数年後、みたいな。
「理想と現実」「思い出と今」「過去と未来」
そんな感じのテーマで書いてたけど、微妙ですな。
サイトアップするのにも悩んで、日記アップ。

もともと、こういう文体のほうが楽で好きなんですよね。
JUNEは文章と想いが単純すぎて、逆に難しい(笑)
さてーそろそろプロット練らなきゃだけど……とりあえず、この体調不良を治さなきゃだな。
氷欧[ hiou ] 




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