続・無気力童子の紙芝居
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2012年09月18日(火) しにたいの話

こんばんは、今日からジムに通います。はとヒです。(外は大雨)

健全な精神は健全な肉体に宿る!と昔は声高に叫ばれていました
と昔読んだ森博嗣のエッセイかなんかに書いてありました。
秋は読書。目指せ1日2冊。

先日も書いた二階堂奥歯の「八本脚の蝶」を読んでいて
ふと自分が昔書いていた日記が気になり、検索しましたら、まだありました。
読み返しても遜色ない「痛いポエム」と「恥ずかしい過去」ですが、
興味のある暇人や懐古厨な友人はどうぞ。検索ワードが思い出せない人はきいてください。
時間がある今年度中にどこかにログをまとめようと思います。

それでね。

最近ツタヤで「24」を借りては見進めているのです。
今ちょうどシーズン�靴涼翦廚△燭�
生物兵器テロのために感染させられた青年が、あと数時間の命と知り、
両親に「死にたくないよ」と泣き訴えるシーンがありまして
「もし私が”あと数時間で死ぬ”って言われたらこんなに悲しいかなー、多分寝ると思うなー」
と感想を言っていたのですが 夫P氏からは何の反応もありませんでした。

一晩寝て、起きて考え直してみても、やっぱり悲しいかどうか分かりません。
普通は死にたくないものなのかしら。
まぁ、例えば「今わたしが死んだら息子はどうなるの・・・」とか「死んだら妻が悲しむ」とか
そんなことを考えてしまったらそりゃもちろん悲しいだろうとは思いますが
「自分が死ぬ」ことって、「自分が死なない」ことよりは安心できる気がしちゃうのよねえ。

中学生のころ夜中に家を抜け出して暗い夜道をプラプラしていたとき
エヴァンゲリオンのカヲル君のセリフ
「生と死は等価値なんだ、僕にとってはね。自らの死は唯一の絶対的自由なんだ」
と筆ペンで書きなぐった紙を学習机の上に出しっぱなしにしていて
両親が自殺したと思い警察に届けたりしたことが懐かしく思い出されます。
その頃から、何かあるたびに母親が
「親より先に死ぬのが一番の親不孝だ」
と繰り返し私に唱え続けています。今でもたまに言われます。
親不孝だな、わたし。

そんなわけで、いつ死んでもおかしくないし、構わないので
痛いのとか苦しいのは勘弁して欲しいなあと思いながら30年生き延びました。

10代の頃は、明日世界が崩壊しないか、いつ終わるのか、いつ終わるのかと毎日眠るのが楽しかったのですが
最近は眠れないまま朝が来るのが恐いので睡眠剤を手放せません。
10代の頃は、いっそ精神病になってしまいたいと思っていましたが
なってしまったわたしは仕事を休む羽目になりました。(あと半年で復帰できるよ!)

なかなか 思うようにはいかないね。
きっと苦しい死に方をするんだろうなあわたし。


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