今日、友だちとグランドブルー(グランブルーといったほうが通りはいいかしら)の話になった。 あまりにも有名な映画ですねぇ。
映画のラストの意味を考えるってコンセプトで??話しは進んだんですが、夢を取るか現実を取るかって選択をしていいのかな??って疑問に思った。
エンゾの現実性は、きっと私にとっても必要な事だろうなと思う。 でも、あの最後の、海へと向かう主人公の現実逃避とも取れる行為は、憧れでもある。
どちらを選ぶかは、私自身なのだという事で話しは終わった。
生涯この映画!!って作品が誰にもあると思う。 私は、この作品ではなく、ある作品がそうなのであるが、どれも見る側が勝手に意味づけをしていて一本の映画が100通りのストーリーに生まれ変わっているといっても過言ではない。
でもね、ふと思ったの・・・。 映画でも、本でもなんでもそうだけど、そのものに色々な意味づけをするって本当はいらない事なんじゃないかなって・・・。
意味づけ(何が言いたいんだって考える事とか)をするって事は、自分が何かを求めているって事なんだなぁ・・・。 でもね、作品に対して意味づけするだけなんてとっても悲しい気がしたの。 以前、私は8ミリ映画を撮っていたけれど、 観る人がね、ここはこういうことを作者が言いたいのです・・・。 なんて解説してると、そんな意味なんて持たせてないよ!!!となるわけです。 本当は意味のない事も色々意味づけして、自分を向上させる素材にする・・・。 すばらしい事だけど、今日はね、なぜかそれが本当は無意味な事なんじゃないかなと思ってしまったわけです。
こんな事書くと、いろんな投メールが来そうね・・・。
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