ひだまり日記

2004年05月31日(月) 虐待

今、テレビから流れているのは、乳児虐待死亡事件。
最近、1週間に1度はこの手のニュースが流れている。
虐待とはいったいどこまでのことを言うのだろう。

これは実際に私がデパートで見た事なのだが、
おもちゃ売り場で、おもちゃの箱を開けようとした子どもに、母親がだめよと、手を軽く数回たたいていた。

私からすれば、当然のしつけとして目に映っていたのだが、近くにいたいわゆるヤンママ集団が、それを見て虐待だとヒソヒソ言っていた。
これって、虐待なんだろうか??
その時のその母親はとても冷静に、ちゃんと子どもに説明もしていた。

最近の虐待は、些細な理由に子どもに無理難題を押し付けて勝手にキレて暴力を振るうケースがとても多い。
そういう情報ばかりがニュースやワイドショーで流されるからか、ちょっとした躾でさえも、傍から見れば暴力に映るのかも知れない。


よく聞くフレーズ。そんなことしていると、食事抜きよ!!
我が家の場合もそうだった。
そして律儀な母はしつけとして実行したものだった・・・。
友達だって、昨日しかられちゃって、食事抜きだったなんて日常茶飯事で聞いたものだった。
今思えば、虐待で捕まってもおかしくないほどの叱り方で育てられてきた。


現在、食事をする権利が子供にはあり、親には食事を与える義務があると言うことで、1回の食事を抜かした(いたずらの罰として、食事抜きにした)親が、小学4年生の子供に訴えられ裁判で負けたという事実があった。
実の親子関係で裁判沙汰になるのだ。
マンガの本を勝手に廃品回収に出してしまったという理由で親が子供に損害賠償金を払わなければいけない時代なのだ。

職場で、私もときどき口にする言葉。
おやつなしにする?
これも、本当は子供の権利を奪うことにつながるのだそうだ。
挙句に精神的苦痛を与えたことにもなりかねないらしい。
それを聞いて怖くなった。

今後、どこまでが許されて、どこまでが虐待につながっていくのか解らない世界である。
言動には気をつけなければいけないのだが、
あまりにも真綿で包む様な子供の育て方を身近に感じ、将来が怖くなるのはきっと、私だけではないだろう。

甘やかすのとは違うと思うけれど、自分が育ってきた環境とは違うと解っているけれど・・・。
それでも、全てを納得して身にしみこませるまでに、まだまだ時間がかかるのかもしれない。

自分がこういう言い方をする年代になったと思いたくはないが、
今時の若い者は・・・と思ってしまう自分が何故か切ない。

子供たちに配られるノートがある。
子どもの権利ノートと言う。
一人一冊ずつ渡されるのだが、自分の権利を奪われた・虐待された・・など何かあったら、記入をし、児童相談所や児童家庭課などに提出すれば、即調べて対処される。
ノートには、日本国憲法によって守られていると言うこと、児童福祉法という子どもたちのための法律が、子どもたちにわかりやすいように書かれている。

日本国憲法に基づいた児童福祉法にのっとって行われる子どもたちの権利の確立。
あまりにも細分化されてしまって、福祉に携わる現職職員でさえ、うっかり見落としてしまうくらいだ。

もっとおおらかに暮らしたいと思うのは、私だけなのだろうか。


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