橋本裕の日記
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2001年05月15日(火) |
今こそ民主的な権力の樹立を |
小泉首相は「聖域なき構造改革」を掲げているが、いまのところかけ声ばかりで、改革の具体的なプログラムは明らかにされていない。本当に出来るのかどうか、膨らんだ期待感の背後に、不安も広がっている。
改革を行うには、強力なリーダーシップが必要である。しかし、日本の政治システムはそうした指導力を許容するようにはできていない。権力の中枢部にいるはずの首相にそれだけの権威も権力もそなわっていないからである。権力構造の中枢がしっかりしていないので、重要な国政や外交の問題についてなかなか自己決定ができない。
日本は自ら改革するのが苦手な国だ。重要なシステムの改革はほとんど外圧によっておこなわれる。そもそも日本が新しい憲法のもとで民主国家に生まれ変わったのも、戦争に負けたからである。アメリカという絶対権力によって、外部から強制されて改革が行われた。
日本人は昔から「和をもって貴し」と考えてきた。そして、ともすると権力そのものを罪悪視する風潮があった。それは独裁的権力のおおくが、あまり幸福な結果を人々の上にもたらさなかったからである。天皇制という権力の中枢を空白にする独特なシステムを一貫して維持してきたのも、こうした独裁をきらう国民性の現れとみることができる。
しかし、こうした権力の中空システムでは、大きな改革を行うことが出来ない。だから改革は常に外圧によって強制的に行われるしかなくなる。戦前や戦中は軍部によって、戦後はアメリカという外圧によって政治が動かされてきた。真の権力者は軍部やアメリカだったわけである。冷戦構造が解消した現在、そろそろ日本は自立した国家として世界に立つ必要がある。そのためには、まず自ら自己決定できる権力システムを構築することだろう。
民主主義とは権力を否定するシステムではない。権力者を民衆の中から、民衆の手で選ぶシステムである。具体的に言えば、あらゆる権力を公明正大に選挙で決めるシステムである。権力を否定するシステムではなくて、権力を民主的に樹立するシステムである。「首相公選制」とは、まさにこうした民主的な権力を樹立するシステムであり、日本を本当に自立した民主国家として世界に認めさせるシステムだといえよう。
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