橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
私はラーメンが好きだ。学校の近くにも、ラーメンのうまい店が何軒かあって、北さんたちと食べに行く。ラーメンは手頃な値段だし、焼き豚やネギなどが入っていて、栄養のバランスも悪くはなさそうだ。それに注文して待たされることが少ない。
家の近くにも家族で行きつけの店がある。年輩の主人が家族を使って経営しているその店は、以前は屋台をしていたらしく、その頃の写真が飾ってある。屋台の時のままの、ごく普通の味のラーメンである。とくにこれという個性のない味だが、この店はいつ行っても客で賑わっている。駐車場に入れない時は、あきらめて前を素通りするしかない。
一年ほどまえ、その店のすぐ近くの広い空き地に、にわか作りの大きなラーメン屋が開店した。そこの駐車場は広々としていて、いくらでも客が入れそうである。ところが、目と鼻の先にあるこの新しいラーメン屋にあまり客がついている様子がない。
先日、いきつけの店が一杯だったので、はじめて家族でこの新しい店に入ってみた。広々とした空き地の駐車場に車を止めて、店の中にはいると、先客はわずかに二人。何となくものわびしげにラーメンをすすっている。
しかしよく冷房の利いた店内は快適で、しゃれた作りの内装がしてあり、テーブルや椅子もゆったりしていて、居心地はなかなかよい。メニューを見ると、結構いろいろな種類のラーメンがある。私は普通のしょーゆ味のラーメンを頼んだが、妻や娘たちはそれぞれ別々の特製ラーメンを頼んでいた。
メニューに「当店のラーメンは個性的であることが自慢です」と書いてある。私はそれを読みながら、何となく悪い予感がした。正直言って私が食べたいのはごく普通のラーメンであって、あまり個性的なものであってはこまる。それではラーメンを食べた気がしない。
はたして出てきたラーメンは、なんだかいつものラーメンらしくない。卵が入っているのも変だし、味もストレート過ぎて、ラーメンらしいこくが出ていない。妻や娘が注文した特製ラーメンは、もっと凄くて、シチューのようなごてごてした見かけで、私にはとても合いそうにない。妻や娘に「どうだ」と訊くと、「これでは客が来ないはずだ」と言う。
見渡すと、いつのまにか先客がいなくなっていて、広い店内に私たち一家4人になっていた。三人ほどいる店の従業員もひまそうにしている。「こんな訳の分からない個性的なラーメンではなくて、どうして、もっと普通のラーメンをださないのかしら」と私は不思議に思った。私のようにごく普通のラーメンが食べたくてやってくる人は多いと思うのだ。
しかし、考えてみれば、「普通ということ」が、本当は一番難しいのかも知れない。行きつけのラーメン屋の主人は60歳を過ぎていて、いかにも年季が入っているという感じである。新しい店の方は、脱サラをしたばかりですという風な中年の男性だ。
一口に「普通」というが、その「普通」を実現するために、職人のわざが必要なのだろう。「個性的」ということは、ときとして「未熟」であることの言い換えでしかない場合がある。これは何もラーメンに限ったことではなさそうだ。
|