橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will


2004年12月17日(金) デンマークのゆとり教育

 以前に、デンマークの「森の幼稚園」について紹介した。森そのものが学校になっている幼稚園である。自然とのふれあい体験を重視したユニークな幼稚園である。

 今日は、デンマークの小学校について書かれた、デンマーク在住の高田ケラー有子さんのメルマガ「平らな国デンマーク」の文章を紹介しよう。

<デンマークでは7年生になるまで学校での試験はありません。日本式で言うと小学校の間は試験がない、ということになります。したがって点数評価による学校の成績なるものも出しません。詰め込み式の知育中心の教育ではなく、体験することから子供たちが自分で考え、自分で責任を持ち、また楽しく生きるということが大前提になっています。

 学ぶことは楽しい、ということを自分で発見することこそが最も大切なことであり、試験の結果で子供たちの能力が測れるものではないという考え方です。人が人として生きる喜びを感じることのできる教育方針、と言えるでしょう。

 人が人らしく生きる。子供が子供らしいデンマーク。当たり前のことですが、試験によるプレッシャーを与えないことが、自由でのびのびとした子供たちを育んでいるのだと痛感するところでもあります。ちょっとのびのびし過ぎ、と思う事もありますが。>

<デンマークの家庭では、必ずと言っていいほど家族そろって夕食をとります。ごく当たり前のことです。働き手の就業時間も朝8時から午後4時までといった所も多く、残業もほとんどなく、子供と向き合う時間をしっかりとっています。もちろん職種にもよりますが、いわゆる普通のサラリーマンは土日は一切仕事をしません。友人との食事なども外でするのではなく、自宅に招いて家族共々いっしょに楽しむ機会を多くとります。そうした家族のあり方も、この国の教育方針を支える根底になっているように思います>

 日本ではようやく最近になって、「学習意欲」を重視した「ゆとりの教育」の大切さがいわれるようになったが、デンマークではすでに何十年も前から「ゆとりの教育」が実践されてきている。1975年に制定されたフォルケスコーレ(公立学校)に於ける国の教育目的を見てみよう。これも「平らな国デンマーク」からの引用である。

1)学校は家庭との協力の中で、生徒に必要とされる知識と技術、それを使うための方法論、他に対するコミュニケーションのあり方(表現方法)を学ぶ機会を与え、個人の総合的な発育確立の実現に向けて努力すべきである。

2)これらの活動において、学校は経験と個人的な活動ができるような機会を積極的に模索し、生徒が学ぶ意欲と想像力を養う機会を増やし、個人的な判断を評価し査定できる訓練を重ねることに寄与すべきである。

3)学校は生徒が民主的社会と共通の課題を実現するための責任共有に対して、積極的な参加の準備をさせるべきである。学校教育と学校生活は知的で精神的な自由と民主主義に基づくべきである。

 日本では、小学生の学力の国際的順位が低下したということで、「ゆとりの教育」を見直すべきだという声が上がっている。新聞の投書などを見ても、「競い合いの教育が大切だ」という声が大きいようだ。

 これはとても近視眼的で、「学習」というものの本質を知らない、まちがった診断ではないかと思っている。問題はこうした素人診断を、大学の先生や文部科学省の大臣までが支持しているということだろう。そこで、まず、「学習の基本法則」を明らかにしておこう。

 (学習)=(意欲)×(学習時間)  ・・・・・・��
 (意欲)=(興味)+(必要性)    ・・・・・・��

 大切なのは、学習が意欲と時間のかけ算だという点である。いくら長時間勉強しても、意欲がなければ学習効果はあがらない。日本の子供たちは、学年があがるにつれて、意欲が減退している。かぎりなく0に近づいているわけだ。そして、0に何を掛けても、その結果は0である。

 したがって、日本の教育の問題点は何かと言えば、「ゆとりの教育」そのものではなくて、その「ゆとり」が有効に活かされていないという点だろう。「ゆとり」を「意欲」へと結びつける肝心の教育が不在なのである。

 この点を理解しないで、再び子供たちを学校の机の上に縛り付けようとするのは、大きな間違いである。意欲を重視したデンマークなど、欧州諸国の初等教育から学ぶべき点は多い。


橋本裕 |MAIL |HomePage

My追加