橋本裕の日記
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| 2005年06月08日(水) |
「靖国神社」の文化論 |
「靖国問題」を考えるとき、人によって色々な観点が考えられる。ある人は、これは日本の問題ではなく、中国の問題だという。中国の反日運動がなければ、たしかに首相の靖国参拝はこれほど問題にならなかっただろう。
しかし、私はこれは一面的な考えだと思う。靖国神社が行っていることは、戦争中も戦後も、たんに戦没者の供養とか追悼ではなく、国の犠牲となって死んだ兵士達の英霊化と「顕彰」である。それは結局、先の大戦を美化することにつながり、戦犯達の「戦争責任」を空洞化させることにもなる。
この点で、靖国神社は日本を再び軍国化しようという保守勢力にとって、精神的なベース基地になっている。「君が代・国旗」の強制、「教科書問題」など、最近こうした勢力の攻勢が目立っている。こうした文脈の中で、「靖国問題」を捉える必要がある。
そもそも「靖国問題」は他国からとやかく言われる前に、日本人自らで解決しなければならない問題である。戦後60年間、この解決を私たちは先送りしてきた。そのつけが、日本の安保理常任理事国入りを目差す中で、顕在化してきている。
こうした認識を踏まえた上で、「靖国問題」をもう一度整理してみよう。そうすると、この問題を考える上で、「経済」「政治」「文化」という大きな三つの観点があることがわかる。
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日本は中国と緊密な経済関係を築いている。中国は日本にとってアメリカを凌駕する最大の貿易相手国で、日本の貿易黒字の大半は中国によるものだ。今や、中国が風邪をひいたら日本は肺炎になるといわれている。こうした経済的「国益」重視の立場から、「首相の靖国参拝は日本経済に打撃をあたえるのでやめてほしい」という「経済的国益優先」の発言が出てくる。これが日本の経済界の本音だろう。
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首相の靖国参拝は国連安保常任理事国入りの障害になる。それに韓国や中国のみならず、他のアジアの国々もこれに同調した場合、日本は国際的に孤立する。外交上、大変不利になり、ODAなどを通じてこれまで築いてきた日本の国際的地位を一気に低下させかねない。これは日本の国際的地位を危うくするものであり、日本がこのような形で国際的地位を失うことは、国益を大きく損なうものと言わねばならないだろう。
<戦後60年の総決算として、わが国が優先すべき「国益」の一つに国連安保理常任理事国入りがある。敗戦後、平和国家の道を歩んできた日本が常任理事国に入ることは、戦勝国による国際秩序から新しい国連へと移り変わるギアチェンジになるからだ。そのカギを握る周辺諸国との関係がギクシャクするのは、国益に何のプラスにもならない>(6/5毎日新聞社説)。
たしかにこうした外向きの外向的問題も重要だが、首相の靖国参拝には「宗教と政治の分離」という原則からいっても問題がある。2004年4月7日に、福岡地裁は「小泉首相の靖国参拝は違憲である」との判断をしめした。
<本件参拝は、憲法上の問題があり得ることを承知しつつされたものであって、憲法20条三項によって禁止されている宗教的活動に当たると認めるのが相当である>(判決文)
しかし、小泉首相はこれらの経済的、政治的問題について、ほとんど発言しようとしない。たとえば去年の福岡地裁の判決については、その当日、「理解できません」「わかりません」を16回も繰り返したという。
じつは小泉首相の眼中には�〃从冖簑蠅皚∪�治問題もほとんどない。彼はこの問題を�J顕縮簑蠅箸靴討發辰僂藜�け止めようとしている。
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小泉首相が「靖国問題」を日本固有の文化だとして、自らの靖国参拝を正当化しようとしていることは、彼の発言からあきらかだ。彼は2004年元旦に靖国神社に参拝したが、そのとき記者団の質問に答えて、次のように述べている。
「初詣という言葉があるように、日本の伝統ではないですかね」
「どこの国でも、その国の歴史や伝統を尊重することに関し、とやかくは言わないと思います」
「靖国神社参拝」を日本の伝統であり、文化だと言って正当化するのは、小泉首相の得意技だが、これは多くの参拝賛成派の立場でもある。� ↓△糧紳个砲泙箸發鉾刃世擦此◆崙�本古来の文化・伝統である」として逃げるわけだ。
問題はそのような「俗論」を日本人の多くが信じているとだ。そして「外国の経済的、政治的圧力に屈するのはけしからん」という勇ましい主張がでてくる。だから、そうした「靖国神社は日本古来の文化である」という俗論をうち破る必要がある。
靖国神社で行われていることを、日本古来の文化だと考えるのは無理がある。このことは昨日の日記に書いたとおりである。靖国神社を「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設だと位置づけた高橋哲哉さんの著書は、「靖国問題」を国益重視の立場ではなく、こうした文化論の立場からとらえているので、小泉参拝に対する本質的な批判になっている。
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