橋本裕の日記
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| 2008年03月08日(土) |
数学をつくった人々(1) |
ハヤカワ文庫の「数学をつくった人々、�鬼�、�挟�、�郡�」(E・T・ベル著)を読み始めた。これから折を見て、この本の紹介をしようと思う。今日はその第一回である。
著者のE・T・ベルは全米数学者協会会長や全米科学振興会の副会長などを務めた。この本は1937年に初版が刊行され、以来数学史の古典として読み継がれている。数学の高校教師をしている以上、一度は読んでおきたい本である。ベルは「序論」にこう書いている。
<ここに紹介した数学者の生涯は、一般読者や、現代数学をつくりだした人間とはどんな人間なのか知りたいと思う人びとを対象に書かれたものである。私の目的は、今日の数学の広大な領域を支配しているいくつかの主流をなす考え方へ、読者を導くこと、しかもそれらの考え方をつくりだした人びとの生涯を語ることを通じて導くことにある>
<何千人という研究者の手で、広大な入り組んだ複雑な形に仕上げられた現代数学も、その根本観念は単純で、しかも果てしない展望をもっており、普通の知能を有する人間ならだれにでも理解できるものである。
数学者は、街頭にでていって最初に会った人にわかりやすく説明できるほどにハッキリさせるまでは、自分自身の仕事を完全に理解しているとはいえない、とラグランジュは信じていたくらいである>
<いくつかのもっとも大切な観念、たとえば「群」、「多次元空間」、「非ユークリッド幾何学」、「記号論理学」についても、おおまかな概念を理解するには、中・高等学校程度以下でも十分である。何よりも必要なのは、興味と落ち着いた頭脳とである。現代数学のこれらのいきいきした観念を吸収することは、熱い日中に飲む冷水のようにさわやかで、芸術のように人を鼓舞するものである>
<奇妙に思えるかも知れないが、偉大な数学者のだれもが大学教授だったわけではない。そのなかには少なからず職業軍人がおり、神学や法学、医学から数学にはいったものもいる。まったく職業をもたない人も数人いた。
もっと奇妙なことには、数学の教授のだれもが数学者であったわけではない。だがこれは、高給をはむありきたりな詩学の教授と、屋根裏部屋で飢え死にしかけている詩人との距離が、いかにかけ離れているものかを考えてみたら、おどろくほどのことではない>
<私たちが学校にはいって幾何学を学びはじめたときは、「点」という概念は完全にわかっていると思い込むが、この概念にしても、洞穴に芸術的な絵をかきはじめた人間からさらに長い歴史をへてようやくできあがったものである。
イギリスの理論物理学者ホイヘンスは「科学研究の最初から必要な条件であった抽象というものの最高形式としての、数学上の「点」を発明した知られざる数学者のために、記念碑を建てたい」といっている>
以前に日記に引用したが、私が愛するバートランド・ラッセルも「ひとつがいのキジも、二日という日数も、ともに2という数の実例であることを発見するまでには、いくつもの時代を経たにちがいない」と述べている。
私たちが何気なく使っている「数」にしても、あるいは幾何学上の「点」にしても、私たちの先祖たちの悠久なる努力が結実した知的遺産である。現代数学を勉強し始めると、まずこのことに最初に気づかされる。そして、数学のほんとうの面白さが、ここから始まる。
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なお、本文の引用はおむねハヤカワ文庫版の「田中勇&銀林浩」訳に従ったが、直訳式であまりに生硬な表現だと思われるところは、私の独断で表現を改めた。正確な引用でないことを、あらかじめお断りしておく。
たとえば、ハヤカワ文庫本で、「洞穴に芸術的な絵を描く動物としての人間の経歴がだいぶん進んだころから現れたにちがいない」となっているところは、「洞穴に芸術的な絵をかきはじめた人間からさらに長い歴史をへてようやくできあがったものである」と書き改めた。
残念ながらハヤカワ文庫版の訳は、こなれた日本語になっていない。アマゾンのカスタマーレビューでも紹介されていたが、たとえば次のような訳文はたしかに困りものだ。
<数学の神童は往々世間で言われるように、必ずしも実をむすぶにいたらないとはかぎらない。その反対を説く執拗な迷信にもかかわらず、数学の早熟性は輝かしい成熟への最初のひらめきになることが多いのである>
これも、「数学の神童と言われた人も、大人になればただの凡人になりがちだといわれている。しかし、これもまた偏見で、やがて大家になるような数学者は、幼い頃からなにかと人と違ったひらめきをすることが多いのである」とでも訳したほうが親切である。せっかくの名著である。もっとやさしくて、わかりやすい日本語で読みたいものだ。
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